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スイス天文台クロノメーター・コンクールへの挑戦

~スイスの時計産業に匹敵する製品開発へ~

品質向上と内外コンクールへの出品

ニューシャテル天文台コンクール
時計ムーブメント(展示)

1950年後半、スイスの時計産業に追いつくことを目標に時計製造システムの一層の高度化と製品ラインの整備が行われ、国際市場でスイスと競合し得る充実した製品の開発に向けてチャレンジが始まりました。
それに先立ち、1948年に当時の商工省(現経済産業省)が開始した「国際時計品質比較審査会(通称・時計コンクール)」へ出品しました。このコンクールは国産時計の品質向上を目的に、スイス天文台コンクールを参考とした精度試験をおこなうものでした。当初は、厳しい結果でしたが、回を重ねるごとに品質が向上し、1956年発売のマーベルに至っては、上記の製造システムの高度化もあり、国内では敵なしというところまで成長しました。

次のステップとして目標となったのが、世界的に権威のあるスイス天文台クロノメーター・コンクールです。日本の時計メーカーとして初めて、ニューシャテルの天文台コンクールに1964年に、第二精工舎(現セイコーインスツル株式会社)と諏訪精工舎(現セイコーエプソン株式会社)が、機械式腕時計部門に参加しました。そしてそのわずか3年後にはトップを狙う状況にまで技術を高めたのでした。

スイス天文台クロノメーター・コンクールとは?

ニューシャテル天文台コンクール
出展ムーブメント

スイス時計産業はスイス製時計の精度向上のためにニューシャテルとジュネーブの両天文台で精度コンクールをおこなっていました。これらのコンクールの歴史はかなり古く、その創設はスイスの時計製造業者たちからの強い要望によるものでした。高精度の時計を売り込むためには第三者の証明書が必要であり、そのためには、品質を保証してくれる公的機関(科学的観測を発表することのできる天文学の研究所)が必要でした。イギリスでは、1822年から、グリニッジ天文台で航海用クロノメーターを対象に毎年コンクールが開催されていました。
ジュネーブに天文台を設立しようという話が持ち上がったのは、1792年のことで、間もなく設立されています。まずは、クロノメーター検定が始まり、その後コンクールがおこなわれるのは、1872年からです。ニューシャテル天文台は、1858年、ニューシャテル州の時計産業の利益を守るために設立され、1860年、はじめてクロノメーター検定がおこなわれています。

当時、検定があったのは、マリンクロノメーター、デッキクロノメーター、懐中クロノメーターの3種類でしたが、間もなく、コンクールがはじまっています。腕時計がクロノメーター検定に持ち込まれたのは、1941年で、そのころから急速にクロノメーター・コンクールが盛んになっていきました。最初はニューシャテル時計製造業者だけのために設立された天文台も、のちには他の州にも開放され、外国に開放されるのは、1959年のことです。

天文台コンクールの審査を受けて合格したものにクロノメーターという称号が与えられます。そしてクロノメーターの称号を得たもののうち、コンクール規定が決める一定点以上の点数を得たものが、“天文台コンクール入賞”となります。ニューシャテル天文台コンクールの腕クロノメーターの入賞ラインは、点数(減点値)7.5点です。1967年度の腕時計クロノメーター部門への参加数は、1,274個。そのうち906個が、クロノメーターとして認定され、さらに201個が入賞しています。

スイス天文台クロノメーター ・コンクールの検査規格とは?

ニューシャテル天文台コンクールの測定方法

精度の安定性が何より求められました。ニューシャテル天文台では、減点値で順位が決まり、ジュネーブ天文台では、60点満点で成績が計算されました。

検定基準が非常に高いため市販の腕時計を合格させることは難しく、どこの時計会社もプロトタイプをつくって、精度を出せるように設計し、特別に調整をして天文台に検定を委託しました。そして、検定に合格したものが天文台クロノメーターの称号を与えられました。しかしそれが市販されることはほとんどありませんでした。精度のみを追求してつくられたものであり、腕時計としての実用性を考えてつくったのでは、天文台の検定規格に合格できなかったのです。コンクールで1位となった時計の精度は、とりもなおさずその時点におけるスイス時計産業の技術の頂点であり精度の最高の到達点でした。

ニューシャテル天文台コンクールでの機械腕時計の成績

ニューシャテル天文台コンクール 機械式腕時計の成績推移

ニューシャテル天文台コンクール4位、企業賞2位の賞状

参加初年度1964年の成績は最高順位が、諏訪精工舎144位(7.97点)、第二精工舎153位(8.47点)と検定に合格することもできませんでした。しかし、わずか3年後の1967年には、第二精工舎が企業賞であるシリーズ賞2位、諏訪精工舎がシリーズ賞3位を獲得する急速な進歩をみせました。さらに諏訪精工舎は、1968年の検定で前年1位の記録(オメガ社:1.73点)を上回る点数をはじき出しました。ところが、この年のニューシャテル天文台コンクールは中止となりました。急遽ジュネーブ天文台コンクールに初挑戦し、1位から3位をスイス製クオーツ時計に占められたものの、機械式腕時計では最高の4位(58.19点)から10位までを独占し、腕時計総合1位の素晴らしい成績を残しました。ジュネーブ(加点法)の58.19点は過去最高点であり、ニューシャテル(減点法)に換算すると1.33点と過去最高の記録を打ち立てました。

ジュネーブ天文台コンクールの記録証明書

スイス天文台コンクールは、機械時計の精度誤差要因:温度誤差、姿勢差、等時性誤差など諸種の誤差全体を「限りなくゼロに近づけていく」作業でした。セイコーは、調整者と技術者のチームワークによりてんぷの高振動化、ひげゼンマイの理論と調整技能の探求・進歩によって、急速に成績を上げ、わずか4年でトップを狙う状況にまでになりました。しかし、100年余り続いてきたニューシャテル天文台クロノメーター・コンクールの歴史の幕は閉じられます。このコンクールが世界の時計産業の精度の水準を引き上げるために役立ったことは事実です。そして、このコンクールを通じて体得した技術・技能が、セイコーウオッチの頂点に位置するグランドセイコーやキングセイコーの精度の作り込みに大いに生かされたことは言うまでもありません。

参考文献:

  • 『SEIKO時計の戦後史』
  • 『THE SEIKO BOOK』
  • 『国際時計通信』
    • 1968年 Vol.9 No.94 1967年度ニューシャテル天文台クロノメーター・コンクールの結果発表“:羽立習志
    • 1969年 Vol.10 No.106 “天文台のクロノメーター・コンクール”:編集部
    • 1969年 Vol.10 No.107 “天文台のクロノメーター・コンクール(その2)”:編集部
  • 『Rapport sur le Concours chronométrique』 OBSERVATOIRE CANTONAL de Neuchatel 1963年度~1968年度