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ジョン・ハリソン(1693-1776)

ジョン・ハリソンとは?

ジョン・ハリソン
ジョン・ハリソン

1693年イギリスのヨークシャー生まれ。木工・大工職人であった父親の仕事を手伝いながら、物理学や機械工学をもとに、独学で時計製造技術を身に着け、安全な航海に欠かせない経度を測定するための正確な時計、マリンクロノメーターの開発に生涯を捧げ、機械式時計の精度の向上に多大な貢献をした時計職人です。

大航海時代の到来によって、ヨーロッパ諸国では15世紀半ばより海上での船の衝突・遭難事故が多発していました。緯度は太陽や北極星の高さを測ることで知ることが出来ましたが、経度を測る手段がなく、自分の船の位置を知ることができなかったからです。1707年、イギリス海軍軍艦4隻が岩礁に衝突、沈没し、乗組員2千人が亡くなる大事故が起きます。1714年イギリス議会は、経度評議委員会を発足させ、多発する海難事故を防ぐために、海上で経度を確定する「実用かつ有効な」手段をみつけたものには、国王の身代金に相当する賞金を与えるという「経度法」を交付します。(※1)

20歳の時に既に木製の機械式振り子時計を作っていたハリソンは、この立法化を後に知って、正確な航海時計を作って賞金を獲得することを目指すのです。当時の時計は全て振り子式のために、海が荒れれば狂って役に立たなくなり、航海時の気候や湿度・温度変化が脱進機の歯車やぜんまいに影響して、海上で正確に時を刻む時計の開発は不可能でした。(※2)

  • ※1 イギリスからカリブ海の西インド諸島までの約6週間の航海で、船の位置の経度誤差が1度以内の誤差の時計なら1万ポンド、2/3度以内なら1万5千ポンド、1/2度以内なら2万ポンドを懸賞金として与えるという法律。2万ポンドは、現在の価値では数百万ドルに相当する。
    既に16世紀末から、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、ベネチアなどの国で、経度確定方法の発見は懸賞金のかかる国家的プロジェクトとなっていた。
    著名な天文学者、ガリレオ・ガリレイ、クリスチャン・ホイヘンス、アイザック・ニュートン、エドモンド・ハレーなども、宇宙が持つ天体の運行の規則性の観点から、正確な経度を測定することを検討していた。
  • ※2 経度誤差1/2度とは、赤道の円周が約4万Kmなので、距離にして約56Kmの違い(4万Km÷360度÷2≒55.6Km)だが、赤道上で1秒間に廻る距離は、約463m(4万Km÷24時間÷60分÷60秒≒463m)なので、時間にして2分(55.6Km÷0.463Km=120秒)の誤差である。これをイギリスから西インド諸島までの約6週間の揺れ続ける航海で達成する必要があったため、1日当り約2.9秒程度の誤差という現代でもかなり厳しい基準であった。

マリンクロノメーター(高精度船舶用時計)の製作に着手

H-1:高さ63cm 幅70cm 奥行45cm 重さ34kg
H-1:高さ63cm 幅70cm 奥行45cm 重さ34kg

ハリソンは、1730年にロンドンの王立天文台長エドモンド・ハレーに逢い、自分の経度時計のアイディアを伝え、当時直進式脱進機や、シリンダー脱進機の発明で有名だった時計師ジョージ・グラハムを紹介してもらい、開発資金の援助を頂くことに成功しました。
1720年代には、摩擦や振動に強いグラスホッパー脱進機(退却式脱進機)を発明したといわれ、その後苦心して1735年、真鍮の骨組みに木材の歯車をつけたぜんまい式の航海時計、H‐1(ハリソン第一号)を製作して1736年リスボンに向かう船でその高精度を証明しました。これにはグラスホッパー脱進機に加えて、船のゆれを吸収するダンベル型のてんぷが使われていました。

H-2:重さ39kg
H-2:重さ39kg

1739年には、気温変化の補正を行う仕組みを入れた、より小型の航海時計H-2を完成させます。陸上でのテストを経て1741年に航海実験の準備が出来ていましたが、ちょうどオーストリア継承戦争が起きており、敵国にH-2が奪われることを避けることもあって、実験は延期になってしまいました。

改良型マリンクロノメーターによる賞金の獲得

H-4:直径13cm 重さ1.4kg
H-4:直径13cm 重さ1.4kg

その後、20年近い歳月にわたる試行錯誤を経て1757年、より軽量・小型化された第3の時計H-3が完成します。さらに、1761年に直径がわずか13センチほどの携帯用の丸い銀時計H-4を開発します。これには、新たに開発されたぜんまいを巻く間でも動き続ける持続装置と、鉄と黄銅を組み合わせたバイメタル構造のてんぷの搭載によって、気温が変化しても膨張・収縮に左右されず精度が狂わないという素晴らしい特徴がありました。このアイディアこそサーモスタットの基本原理であり、後に人類に多大な恩恵をもたらすものでした。
これで、いよいよ1761年から1762年にかけて、イギリスから大西洋を横断してカリブ海のジャマイカまで往復の実験航海を行います。結果は、81日間で誤差はわずか5.1秒という2万ポンドの賞金獲得に充分な条件をクリアーしました。

ところが、経度評議委員会の構成メンバーであるグリニッジ天文台所長のネヴァル・マスケリンら天文学者が、自身も天文学的理論で賞金を狙っていたことから、階級の低い時計職人ハリソンの成功を心良く思わず、まぐれによるかもしれないとして、彼には数千ポンドしか支払われませんでした。

その後、残りの賞金を受け取るために、1764年に息子と一緒にH4の複雑な内部機構をそのまま継承しつつ、外見を簡素化したH-5を完成させます。これによって、バルバドスへの5か月の航海で誤差わずか15秒の誤差という大変優秀な成績を収め、最終的には、彼が既に80歳となる1773年、国王ジョージ3世への直訴により彼の庇護の下、残りの賞金が授与されたと伝えられています。

大英帝国を築いたクロノメーター

1772年から1775年まで、イギリス人の有名な海洋探検家ジェームズ・クックが南極圏を含む三年もの大航海時に使用した時計は、ハリソン製作のH-4を複製したクロノメーターでした。ハリソンのH-4の製作を手伝ったラーカム・ケンドールが作ったもので、彼の頭文字をとってK-1といわれています。
K-1の精度は、三年の歳月で荒れ狂う海と、赤道と南極圏の大きな温度差にさらされながら、わずか、1分程度という驚くべき正確さでした。
この出来事が、ハリソン設計のクロノメーターが経度測定に有効であることを広く証明し、その後彼以外の時計職人達もクロノメーター製作に駆り出され、イギリスの時計産業が急成長します。
また、同時に大洋を自由に航海できるようになったイギリスは強大な海軍力で世界中に植民地を築いていきます。19世紀に7つの海の支配者、世界の工場と呼ばれた大英帝国の絶頂期を迎えることが出来たのは、ハリソンのクロノメーターの発明が一役を担っていたのは間違いありません。

参考文献:時計の話 上野益男著 早川書房
時計のはなし 平井澄夫著 朝日新聞出版
経度への挑戦 デーヴァ・ソベル 翔泳社
時と時計の物語 明石市立天文科学館