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時計産業発展の歴史

機械式時計が発明されて以降、
時計は様々な国で当時の社会とかかわりながら産業として発展してきました。
その変遷を現代まで辿ってみましょう。

すべての国

1300年代

13世紀末

機械式時計
北イタリア・南ドイツで誕生

世界で最初の機械式時計は、北イタリアから南ドイツに至る地域で、1270年から1300年ころにかけて作られたといわれています。

現在のような文字板と針はなく、鐘を鳴らして時を知らせていました。
2つの錘が落ちていく力を使い、一つで時計を動かし、もう一つで鐘を鳴らします。

時間の調整は冠型脱進機で行いました。時計の上部で棒てんぷが水平の往復運動をし、錘が一気に落下することを防ぐと同時に歯車の回転を一定速度に制御します。
棒てんぷの両端に下げられた錘の重さと位置を変えることで、往復にかかる時間を調整します。冠型脱進機の発明時期と発明者は分かっていません。

精度はかなり低く、一日に30分から1時間程度の誤差がありました。
14世紀には文字板のついた塔時計が市役所や聖堂に設置されるようになりました。

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1400年代

15世紀後半

ぜんまいを動力にした小型時計の誕生

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ムンバイの塔時計(撮影者:Nichalp)
15~16世紀

市庁舎や市場の塔時計により不定時法から定時法へ変更

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1500年代

16世紀

南ドイツとフランスに時計産業が勃興

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1583年頃

ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見

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16世紀後半

時計の所有者(=時間の管理者)により、初期資本主義が成立

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16世紀後半

フランス・ドイツで新教徒が弾圧され、時計職人はスイス・イギリスに亡命

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1600年代

1656年頃

クリスチャン・ホイヘンスが振り子時計をつくる

ガリレオの死から14年後の1656年にクリスチャン・ホイヘンスが、冠型脱進機の重錘時計に、振り子を用いたのでした。具体的には、調速に利用していたフォリオットの揺れを一定に保つために、振り子を加えてその等時性を活用し、更にはサイクロイド曲線の理論にのっとって、振り子の振り幅を制限する補正板を両側につけたのです。
これによって、当時改良が進んでいたとはいえ一日15分程度の誤差があるのは普通だった棒てんぷで調速する時計から、一日数分程度の誤差しかない正確な振り子付き時計が発明されたのです。

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1675年

クリスチャン・ホイヘンスがてんぷぜんまいの時計をつくる

小型化と携帯性向上のもう一つのカギが、てんぷぜんまいでした。時計の精度は振り子のおかげで飛躍的に向上しましたが、振り子があるために持ち運びができませんでした。揺れると振り子が止まってしまうからです。また、振り子はある程度以上のスペースを必要としました。
らせん状のぜんまいは、振り子と同様に等時往復運動をします。振動しても止まることがありませんし、小さなスペースに組み込むことができます。1675年ころ、てんぷぜんまいを使った時計を発明したのもホイヘンスでした。

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1675年

トーマス・トンピオンもアンクル脱進機とてんぷぜんまいの時計をつくり、これが懐中時計に応用されて、小型化・携帯可能・高精度化が進む

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17世紀後半

トーマス・トンピオンが分業・協業による生産方式を導入

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17世紀後半から18世紀後半

イギリスで優れた時計職人を相次いで輩出

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17世紀末

スイスで時計産業が勃興

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江戸時代全般

全国的に不定時法による時間管理がなされる

江戸時代に於ける時刻制度には、不定時法が使われていました。不定時法とは、一日を夜明けと日暮れを基準にして昼と夜に分けてそれぞれ6等分し、その長さを一刻(いっとき)と呼んでいました。一日のうちでも昼と夜の一刻の長さは異なり、しかも季節によっても変わるため、常に一刻の長さが変化した複雑な時刻制度でした。

当時の時報の中心的な手段は時を知らせる鐘(「時の鐘」)で、「時の鐘」には「城の鐘」・「寺の鐘」・「町の鐘」と複数の種類があって、昼夜を通して報知がなされていました。

「城の鐘」は、城内の櫓時計などの和時計を利用して、決まった時刻に太鼓や鐘で城に従事する役人に政務時間を知らせていた鐘です。
「寺の鐘(梵鐘)」は、香盤時計やその他の和時計を用いて仏事や勤行のために寺院で鳴らしていた鐘で、最初一日に3回鐘を撞いていました。(明け六つ・昼九つ(正午)・暮れ六つ)。
江戸では江戸城を囲む9ヶ所のお寺や町中、地方では京都・大坂・長崎などの主な城下町にあって、最初は幕府管轄の時報制度を取っていましたが、間もなく市民のための鐘となり、一刻に一回の報知がされておりました。
この時報システムが時代のニーズに伴い、市民が規則正しい生活するために、全国に拡がって行った事は、その時代の画期的な出来事であったと思われます。

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17世紀中頃

全国的な規模で「時の鐘」による時報システムが拡大

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1700年代

1715年

ジョージ・グラハムが直進式アンクル脱進機を発明

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18世紀前半

ジョン・ハリソンが発明したマリンクロノメーターによって安全な航海が実現し、イギリスの後の海上制覇につながる

イギリス、ヨークシャー出身の一介の大工職人ジョン・ハリソンは、政府の経度委員会に掛け合い、研究費の名目で賞金の前払いを受け取って、30年間近くに渡って、H1、H2、H3、H4という航海用時計の製作に没頭して、1761年に最高の作品H4を完成します。
H4には、温度変化時に鋼と真鍮のバイメタルの部品がてんぷのひげぜんまいの長さを自動で調整できる機構がある点が画期的でした。

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1748年

ピエール・ル・ロワがクロノメーター用にデテント脱進機を開発

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18世紀半ば

スイスで、ブランパン、ヴァシュロン、ブレゲなどが工房を開設

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1756年頃

トーマス・マッジが分離式レバー脱進機を発明。これが応用されて現代のクラブトゥース脱進機になる

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18世紀後半

イギリスで、回転運動と往復運動の変換をする時計の仕組みが、紡績機、蒸気機関などに応用され、産業革命が進展する

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18世紀後半

イギリスで、懐中時計が中産階級や、一部一般庶民にまで、消費されるようになる

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18世紀後半

スイスで家内工業の分業方式が確立

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18世紀末

時計生産は、イギリスが12~19万個、大陸全体で10~15万個

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1800年代

1806年

ナポレオン皇帝がジョゼフィーヌ皇妃のために最初の腕時計を作らせる

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19世紀初め

イーライ・テリーの部品標準化によるクロックの大量生産が始まる

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19世紀前半

スイスメーカーは、製品と生産方式を改良して輸出を増やし発展する

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19世紀半ば

スイス、世界一の時計生産国となる

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19世紀半ば

イギリスの鉄道会社各社がグリニッジの標準時を共通の時間とする「鉄道時間」を採用する

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19世紀半ば

アメリカで懐中時計の生産が始まる

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19世紀後半

南北戦争で懐中時計の需要が急拡大し、生産が12万個になる

戦争による旺盛な軍人向け需要と同時に、懐中時計の大衆需要を喚起したのは、鉄道網の発達でした。
アメリカでは、特に1880年代以降、南部西部も含めた北米大陸全土に大陸縦横断鉄道網が拡張されていきますが、安全な鉄道運行には、小型で見易く正確で蓋のない懐中時計型の鉄道時計は欠かせず、ポケットウオッチの全体需要は大いに拡大します。
単線を走る上り、下りのどちらかの列車を時間通りに待避線に導いたり、急行列車を駅や各地点でやり過ごしたりする安全確認は、すべて機関士や配置された鉄道員が携帯する時計の精度が同じであることが大前提となっています。

19世紀後半

エルジン、ハミルトン設立

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1876年

スイスはアメリカの機械による大量生産方式に敗れてアメリカ市場を失う
スイスはこれを契機に部品標準化などアメリカ方式を取り入れて改良

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1880年

ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が海軍将校の訓練用に2000個の腕時計を注文

1880年頃ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍将校用にジラール・ペルゴー社に2,000個の腕時計を製作させたという記録があり、これが懐中時計を腕に巻く専用の革ベルトが付いた量産された初めての腕時計だと言われています。この時計には、ガードのためにダイヤルの上に頑丈な網目状の金属製カバーが取り付けられていて、手首にくくりつけて時計を使ったことで、砲撃のタイミングが常に容易に測れただけでなく、懐中時計を手に持っていた時は片手しか使えなかったものが、腕に巻きつけたことにより両手で自由に戦えるようになったのです。ただし、この時計は戦場では使われず、あくまで訓練用だったようです。

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19世紀後半

インガソルが1ドルウオッチで市場を席巻し、100万個を生産

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1884年

国際子午線会議でグリニッジ標準時(GMT)を基準に、世界のタイムゾーンが制定される

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19世紀後半

アメリカは生産数でヨーロッパを凌駕

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1893年

オハイオ州で、鉄道事故をきっかけに、鉄道時計の認定基準が制定される

1891年にオハイオ州キプトンで起きた、後に「キプトンの悲劇」と呼ばれる列車同士の正面衝突事故は、片方の列車の機関士が所持していた時計が4分くるっていたことが原因で、双方の機関士と9名の乗務員が犠牲になりました。
この事故を重く見た当局が、地元の標準時を管理していた時計宝石商ウェブ・C・ボールを鉄道監督検査官に抜擢し、事故状況の調査と、今後正確に運用するためのシステムを開発するよう要請しました。
彼は調査の結果、鉄道員が専門に使用する鉄道時計の認定基準「レイルロード・アプルーブド」を1893年に策定して、今後はこれらの基準を満たした鉄道時計を造りそれだけが使用されるように、各時計メーカーに製造を依頼するようになるのです。

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19世紀末

近代化を怠ったイギリス時計産業が衰退

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1899年

1902年迄のボーア戦争で、イギリス軍兵士が初めて戦場で腕時計を使用する

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1864年

ファブル・ブランドが横浜の商館で、スイス製時計の輸入販売を開始

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1873年

改暦により、不定時法から定時法、太陰太陽暦から太陽暦への変更がなされる

明治期に入って、明治初年の神仏分離令による神社からの「寺の鐘」の撤廃や、明治6年(1873年)の改暦による太陽暦と時・分・秒による定時法の導入によって、不定時法による「時の鐘」の時報手段は徐々に少なくなり、明治後期になると各地に建設された定時法による時計塔の普及によって、「時の鐘」による時報システムは衰退して行くことになります。

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1881年

服部金太郎が服部時計店を創業する

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1887年

日本で最初の掛時計工場 時盛社(林時計)設立

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1892年

服部時計店が精工舎を設立し、掛時計の製造を開始

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1895年

大阪時計製造株式会社が、アメリカから技術・製造機械を導入して、懐中時計の生産に日本で初めて成功

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1900年代

1900年~1910年

東京・大阪・名古屋の時計メーカーは淘汰され、精工舎のみが懐中時計の開発・生産を継続

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1905年

アメリカで無線報時始まる

1913年

セイコー 日本最初の腕時計ローレルを発売

日本では、セイコーが1913年に日本初の腕時計「ローレル」を発売します。当時日本で懐中時計の量産化に成功し製造・販売を継続していたメーカーは精工舎だけだったので、小型の懐中時計ローレルとムーブメント・外装を兼用化することで、日本で初めての腕時計ローレルを製品化できたのです。
当時は、一部の軍人だけが、腕時計の存在を知っていた程度でしたが、セイコーの創業者服部金太郎は、近い将来、日本にも腕時計の時代が来ることを予見して、いち早い開発を行いました。その後、セイコーは1923年の関東大震災による大困難を乗り越えて、1924年以降、本格的な腕時計の量産化を図っていきます。

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1914年

第一次世界大戦で、腕時計が各国軍に普及

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1919年

国際報時中央局 パリに設置

1920年以降

グリニッジ標準時が世界に普及

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1921年

W・ショート シンクロノーム自由振子時計を開発

1921年には、イギリス人W・H・ショートが、なんと1日に1000分の1秒から2秒の誤差しかないという高精度を持つ天文台用の自由振り子時計(ショート・シンクロノーム時計)を発明します。
これには、空気抵抗がなく、気圧や気温・湿度の変化のない真空ケースの中に吊るされた自由振り子に30秒毎に小さい衝撃を1回0.3秒間だけ与える脱進機の役割を持った副時計がついていました。この機構によって、この振り子は、脱進機の干渉を受ける100分の1以外の期間は、まったく自由に正確に振動することができ、極めて高精度が保たれるのです。この時計は、最初エジンバラ天文台に設置されましたが、その後高精度が認められて、グリニッジ天文台はもとより世界各国の天文台に設置され、高精度の天文台の標準時計として長い間活躍しました。

1924年

ハーウッド 自動巻腕時計の特許を獲得

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1924年以降

セイコー 本格的な腕時計の量産を開始

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1926年

ロレックスが防水・防塵の世界初の腕時計「オイスター」を発売

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1927年

カナダ人マリソンがアメリカのベル研究所にて水晶時計を開発

1930年頃

世界で腕時計の生産が懐中時計を上回る

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1931年

ロレックスが現代自動巻き機構の原点といえる「パーペチュアル」を発売

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1939年

第二次世界大戦で、優れた防水性・機密性や便利な付加機能を持った腕時計が登場

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1945年

イジドール・ラビ博士が原子時計の仕組みを考案

1949年

ハロルド・ライオンズがアンモニア原子時計を発明

1955年

イギリス国立物理学研究所のルイ・エッセンらがセシウム原子時計を実用化

1957年

ハミルトン社 電池腕時計を発売

1958年

セイコー 放送局用水晶時計を発表

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1960年

ブローバ社 音叉時計アキュトロンを発売

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1960年頃

国産時計の性能が世界水準に達する

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1962年

スイス電子時計センター(CEH) ニューシャテルに設立

1963年

セイコー 世界初の水晶式置時計クリスタルクロノメーターを開発

その他の競技用として大会中だけ使用する持ち運びが可能な水晶式の時計が開発されました。それが世界初のポータブル、AC電源不要、精度日差0.2秒の水晶時計・クリスタルクロノメーター(QC-951)です。さらに、長時間計測可能なストップウオッチを開発する計画が進められ、世界初の水晶発振式デジタル・ストップクロックを完成させました。当時は表示素子として液晶もLEDもない時代です。該当する数字の小さな豆球を点灯させ、○時間○○分○○秒〇〇と1/100秒単位までのタイムを7桁表示しました。マラソン優勝者アベベの世界記録2時間12分11秒2は、このデジタル・ストップクロックによって計測されました。それまでにも水晶の技術を使った競技時計は存在しましたが、オリンピックで主たる機器のすべてに水晶時計を用い完全に成功したのは、東京オリンピックにおけるセイコーが初めてでした。

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1963年以降

セイコースポーツマチック・ファイブが防水と自動巻きの普及を促進

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1964年

セイコー オリンピック東京大会の公式計時担当し、主たる競技でクオーツを用いた精度の高い計測を成功

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1966年

ジラール・ペルゴー社 世界初の量産10振動腕時計を発売

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セシウム原子時計の共振部
1967年

セシウム原子時計が世界の1秒の標準となる

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1967年

天文台クロノメーター・コンクールにより、世界の時計産業の精度の水準が引き上がる

次のステップとして目標となったのが、世界的に権威のあるスイス天文台クロノメーター・コンクールです。日本の時計メーカーとして初めて、ニューシャテルの天文台コンクールに1964年に、第二精工舎(現セイコーインスツル株式会社)と諏訪精工舎(現セイコーエプソン株式会社)が、機械式腕時計部門に参加しました。そしてそのわずか3年後にはトップを狙う状況にまで技術を高めたのでした。

1968年

ジュネーブ天文台コンクールでセイコーが機械式腕時計で最高位を占める

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1968年

セイコー 世界初の家庭用クオーツ掛時計を発売

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1969年

セイコー 世界初の水晶腕時計クオーツアストロンを発売

1967年のニューシャテル天文台コンクールにセイコーとスイスのCEH社は、どちらもクオーツ腕時計のプロトタイプを出品し、その後の世界初のクオーツウオッチの製品化を巡って、スイスとセイコーは熾烈な競争を繰り広げていましたが、1969年の12月に、セイコーが世界初のクオーツウオッチ・アストロンを発売します。
翌1970年4月のバーゼルフェアでは、CEH社のラドー、ブローバ、ユニバーサル、オメガなど数社が、アナログクオーツ時計を出展しましたので、まさにタッチの差での勝利でした。

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1969年

クオーツ技術をデファクト・スタンダード化するために、パテントを一般公開

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1971年

セイコーウオッチの総販売量1400万個のうち輸出が半数、1978年には1900万個のうち輸出が2/3

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1973年

セイコー 世界初6桁表示の液晶式クオーツデジタル腕時計を発売

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1976年

セイコー 世界初のクオーツ目覚時計を発売

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1976年

シチズン 世界初アナログ式太陽電池腕時計を発売

1978年

セイコー 年差時計スーペリアツインクオーツを発売

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1980年

時計生産数が、スイスを抜いて世界一となる

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1980年代

日本メ一カーがムーブメント外販市場をリードしクオーツの普及が加速する

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1980年代前半

スイスからの時計の輸出は、過去最高の1974年の1/2に減少

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1980年代前半

少数の日本メーカーが、合理的な量産生産システムと集中したマーケティングにより市場を拡大

1980年代以降

中国(香港)が国際的な外装部品の生産地・組立拠点となり、ウオッチ生産の国際分業が一挙に進展する

1980年代

クオーツ腕時計は、自動組立ライン開発により、コストダウンが急激に進む

1980年代

クオーツ化・量産化への対応の遅れ、スイスフランの高騰、オイルショックによる原材料の上昇、人件費の上昇などによって売上が激減し、多くの時計メーカーが廃業に追い込まれる

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1983年

オメガ・ティソを主体にしたSSIHと、ロンジン・ラドーを主体にしたASUAGを合併し、SMHを設立

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1983年

スウォッチを発売

1983年から販売を開始したスウォッチは、巧みなマーケティングと宣伝販促によって1986年には全世界で累計2300万個、1992年には累計で1億個を達成し、1993年の年間販売数は3000万個にも昇るといわれました。
スウォッチのイノベーションは、単に部品点数の少ない製品の合理的な生産システムによる大量生産・コストダウンのみならず、ファッションを切り口にして、シーズンごとに売り切り、地域性のないグローバル・ブランドのマーケティングをしたことです。全世界のお洒落な国際都市の中心街に、「スウォッチ・ショップ」を作って効果的PRによる大量販売に成功し、安くてもお洒落で付加価値が高いというビジネスモデルを創ったのです。
この量産効果による収益で、工場の再稼働や雇用の再創出を生み出し、スイス時計産業のベースが再興されました。

1983年

生産システムの合理的な再構築と、新たなマーケティング戦略の再検討が行われる

1984年

Fossil社設立。 レトロアメリカンイメージの商品とマーケティング、中国の製造業者を使ったファブレスの調達システム、多くのファッションブランドのライセンスによって、2010年までの間に、スイスと日本の各社に並ぶ時計会社となる。

1985年

プラザ合意以降、急激な円高ドル安で日本メーカーは急速に競争力を失う

1985年

SMHは、ムーブメントの製造・組立をすべてETA社(旧エボーシュ社)に集約させ、傘下ブランドのポジショニングを再編

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1985年

スウォッチの大量販売による成功で、スイス時計産業が再興される

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1986年

スウォッチは巧みなマーケティングと宣伝販促により、全世界で累計2300万個、1992年には累計で1億個を達成

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1988年

セイコー 自動巻発電クオーツを発売

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1990年

ドイツ ユンハンス 世界初の電波修正腕時計を発売

1990年代以降

ファッションブランドのウオッチが人気を集め、中価格帯の一大勢力となる。

1991年~2011年までの20年間で

スイス時計の輸出総額は付加価値の高い機械式時計の売上増加により、約4倍に拡大

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1995年以降

大手グループによるラグジュアリー領域の時計ブランドの買収・再編が一段と加速する

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1999年

セイコー ぜんまいで駆動し、クオーツと同等の精度を持つスプリングドライブ腕時計を発売

機械式時計と同じゼンマイのほどける力を動力源として、「トライシンクロレギュレーター」と呼ぶ水晶・半導体・モータで構成される脱進調速機構を駆動・制御することにより、クオーツと同等の高精度を実現。世界初で唯一のセイコー独自の次世代の腕時計。

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2000年代

2005年

東京大学の香取秀俊教授がストロンチウム光格子時計を開発。原子時計の新たな発展の先駆けとなる。

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2012年

セイコー 世界初GPSソーラーウオッチを発売

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