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高振動時計

時計は調速機構の振動が高いほど精度が上がるとされています。
この記事では、その仕組みと高振動化の歴史をご紹介します。

1. 機械式時計の振動数と精度

時計が正確に時を刻むのは、その調速機構のおかげです。
最初の機械式時計の調速機構である棒てんぷと冠脱進機の組み合わせは、てんぷに等時性がないため、一日に1時間の進み遅れが出ることもあったようです。
1656年に等時性のある振り子を使った時計がオランダのホイヘンによって作られ、精度は飛躍的に向上します。
更に1675年には振り子の代わりに円てんぷを使った時計も同様にホイヘンスによって作られました。
現在でも機械式腕時計はこの円てんぷを調速機構に使っています。

時計は時間精度をつかさどる振動体の振動数が高いほど、精度が高くなるといわれています。時計の高精度の歴史は、より高い振動数をもつ振動体の追及の歴史といえます。
では、なぜ、振動数が高いほど精度がよくなるのでしょうか?

独楽を例にして説明します。独楽の回転数が高い(勢いよく回っている)時には、外部からの力(外乱)を与えてもすぐに立ち直りますが、独楽の回転数が低い(勢いがない)時には、すぐに倒れてしまいます。この独楽のような原理と同じように、振動数が高いと振動は安定し、少しぐらいの外乱で姿勢が変わっても、振動への影響がすくないので、精度は安定します。
もう一つの理由は、振動数が高いほど、私たちの日常生活で腕時計に伝わっている振動数(通常の生活では1~2Hz程度)と大きくかけ離れ、共振現象が発生しにくくなるので、精度への影響が軽微になるというものです。

一般的に振動数はHz(ヘルツ)で表します。一往復が1Hzです。
これに対して、機械式時計の振動数は、独特の言い方をします。片道で1と数えるのです。
一方向に触れるたびにカチコチと音が出て、秒針もてんぷの片道振動に従ってステップを踏んで進むので、そのような数え方になったのでしょうか。 ですので、一般的な4Hzは機械式時計の世界では8振動と呼びます。
機械式時計については、このほかに一時間の振動数で表現することがあります。
この表現では、8振動は28,800 bph (beat per hour)、10振動は36,000 bphとなります。

2. 時計の振動数の歴史

ニューシャテル天文台
ニューシャテル天文台
This is an image of a cultural property of national significance in Switzerland with KGS number 4094

時計の振動数がどのように向上していったのか、歴史を振り返ってみましょう。

1675年に作られた最初の円てんぷ時計は1秒間に1振動から2振動だったのではないかという推測があります。
時代が進んで、20世紀初頭のポケットウオッチは6振動がスタンダードでした。
時計の主役が腕時計に代わっても、1950年代に作られた時計の大半は5, 5.5, 6振動でした。 50年代の後半、スイスでは精度を競う「天文台コンクール」において、各社がしのぎを削っていました。 その中で、それまでの6振動より8振動の方がより高精度を達成できることが分かり、各社こぞって8振動のコンクール専用ムーブメントを使うようになります。

8振動はてんぷを素早く動かすためよりトルクの強い動力ぜんまいが必要です。強いぜんまいの力は脱進機を中心とする部品により大きな力となって伝わり、部品の摩耗が進む原因となります。
また、てんぷも輪列もより多く動くため摩耗が激しくなります。
これらの課題を解決するには、強力な動力ぜんまいや耐久性の高いひげぜんまい、素早い動きでも簡単に飛び散ってしまわない潤滑油、小さな力で滑らかに駆動する精度の高い部品が不可欠でした。
これらの課題が解決されることによって、8振動時計は60年代に市販品としても広まっていきます。

セイコーロードマーベル36000
セイコーロードマーベル36000

鉄道の発達や工場生産管理高度化による時代の要請もあり、精度競争は更に激しさを増していきます。
精度を競争するスイスの天文台コンクール用には10振動のムーブメントも使われるようになりました。
そして1966年スイスのジラール・ペルゴー社が世界初の量産10振動腕時計を発売します。
セイコーは、1967年にロードマーベル36000、1969年グランドセイコーV.F.A.の10振動腕時計を発売するなど、1970年までの間に各社がこぞって10振動腕時計を市場に投入しました。

世界初のクオーツ式腕時計「セイコークオーツアストロン」
世界初のクオーツ式腕時計
「セイコークオーツアストロン」

時計業界の精度追求は機械式時計に留まりませんでした。
1960年にブローバ社が出した音叉時計は360Hzで、日差わずか2秒でした。
更に高精度の時計を追及して、時代はクオーツへと向かいます。
機械式の10振動時計が盛んに投入された1969年ついにセイコーが世界初のクオーツ式腕時計を発売し、クオーツの時代が到来します。
このセイコークオーツアストロンは月差5秒と、高精度の機械式時計の数十倍から百倍の精度を誇りました。ちなみに、クオーツアストロンの水晶の振動数は8,192Hzでしたが、その後のクオーツ時計は32,768Hzの振動子が標準となっています。

クオーツに対して、精度やコストの面ではるかに劣る機械式時計は時代遅れとなり、10振動時計も無用の長物と化すことになります。

3. クオーツ発売後の精度追求

クオーツで更に高い振動によって高精度を実現しようという試みはありましたが、振動数が上がると消費電力も多くなり、大きな電池が必要なため、腕時計には向きませんでした。結局現在のクオーツウオッチのほとんどが32,768Hzです。

スーペリアツインクオーツ
スーペリアツインクオーツ

高振動化以外の方法でクオーツの精度を更に高めようという動きが続きます。
1978年にはセイコーが二つの水晶振動子を使って温度変化による誤差を補正することで、年差± 5秒という「セイコースーペリアツインクオーツ」を発売します。
日差、月差を飛び越えて「年差時計」という言葉が生まれました。

更にその後、クオーツ時計の精度追求は別の方向に向かいます。
外部の高精度時計の活用です。
日本を初めとする5か国では、セシウム原子時計による10万年に一秒の精度の時間情報を電波で発信しています。
1990年にドイツのユンハンス社は、これを活用して時刻調整を行う世界初の電波時計を作りました。
その後日本のメーカーが相次いで電波時計を発売し、ブームとなりました。

世界初のGPS電波時計「セイコーGPSソーラーアストロン」
世界初のGPS電波時計
「セイコーGPSソーラーアストロン」

電波時計は、標準時刻電波を出している5か国以外では、普通のクオーツ時計となります。
この弱点を克服したのがGPS電波時計です。
地球の上を周回している30個ほどのGPS衛星にも原子時計が搭載されています。
この時刻情報を受信して高精度を実現し、位置情報も受信して、世界中どこでもその場所の時刻を表示することができます。
2012年にセイコーが世界初のGPS電波時計「セイコーGPSソーラーアストロン」を投入し、その後他社も追随しました。

セシウム原子時計の共振部
セシウム原子時計の共振部

現在、世界の標準時間はセシウム電子時計が作り出す一秒を基準としています。
この時計の振動数は約92億Hzで精度は一億年に一秒ですが、最高精度のセシウム時計は世界に数台しかなく、商業的に利用されているものはそれよりも低い精度のものです。
更なる高精度を求めて、セシウム時計の1000倍の精度の光格子時計が研究されています。
現在開発済みのストロンチウム光格子時計の振動数は429兆Hzです。

4. 機械式高振動時計のその後

クレドールジュリ典雅
クレドールジュリ典雅

80年代に、独特の味わいと機械としての面白さから機械式時計の良さが見直され、沢山のメーカーが復活を遂げました。
しかし現在では、10振動などの高振動時計を作るメーカーは、セイコー、ゼニスなどごく少数に限られています。
一般的に、特別な素材、厳しい公差、微妙な調整などが必要で、どうしてもコスト高になること、現代では高精度と同時に持続時間や耐久性が求められ、新規にぜんまいを開発できないメーカーではそれらのバランスをとるのが難しいこと、その後の製造技術の進化により、10振動にしなくても高精度の時計が作れるようになったこと、精度の面ではクオーツに追いつかないこと、などがその原因と考えらます。

しかしセイコーの創業以来の正確な時計作りへの追及は、機械式時計でも、現在も続いています。

セイコーは2008年に12振動時計の「クレドールジュリ典雅」を発売。
2009年には機械式の10振動時計「グランドセイコー メカニカルハイビート36000」を新開発して投入しました。
ひげぜんまいと動力ぜんまいに新合金を開発し、がんぎ車とアンクルはMEMSと呼ぶ新製造法で部品の精度と表面の平滑性を飛躍的に高めました。

時計の振動数と精度年表

1300年ころ 最初の機械式時計が誕生。精度は一日に30分から1時間の誤差があったといわれる。
1583年 ガリレオが振り子の等時性を発見。
1656年 オランダのホイヘンスが振り子式時計を発明。誤差が一日数分程度に縮まる。
1675年 ホイヘンスが円てんぷを使った時計を発明。
1880年 フランスのキュリー兄弟が結晶体に応力を掛けて電気を発生させる圧電効果を発見。この逆の現象が荷電して一定周波数の振動を得る「逆圧電効果」である。
後の水晶式時計にはこの原理が使われた。
1927年 カナダ人のマリソンが水晶式時計を開発。大きさは部屋一つ分あった。
1950年代後半 8振動の機械式時計がスイス天文台コンクールを席巻。
1960年 Bulova(ブローバ)社が世界初の音叉時計『Accutron(アキュトロン)』を発売。360Hz。誤差は一日2秒。
以降、1960年代を通して市販品にも8振動が広まる。コンクールでは10振動、20振動が登場。
1966年 Girard-Perregaux (ジラール・ペルゴー)が世界初の10振動腕時計『Gyromatic (ジャイロマティック)』を発売。
1967年 1億年に一秒誤差のセシウム電子時計が世界の1秒の標準となる。
セイコーが10振動時計『ロードマーベル36000』を発売。
セイコーが世界初の女性用10振動時計『19ハイビート』を発売。
Longines (ロンジン)が10振動の『Ultra-Chron (ウルトラクロン) 』を発売。
1968年 ジュネーブ天文台コンクールで水晶式時計が上位を占める。
その後天文台コンクールは相次いで終了。
この年発表の10振動時計
61グランドセイコー自動巻き
45グランドセイコー
Favre Leuba (ファーブル ルーバ) FL1164
Zodiac (ゾディアック) cal 88と86
Movado (モバード) cal 405と408
1969年 この年発表の10振動時計
キングセイコークロノメーター (10) D
Eterna (エテルナ) cal 2732
Zenith (ゼニス) El Primero (エル プリメロ) 初の十振動クロノグラフ
を発売。
12月、世界初のクオーツ式腕時計『セイコークオーツアストロン』発売。振動数8192Hz。誤差は月5秒。
1970年 10振動時計『A. Schild (エー・シルト) cal. 1920』発売。
1975年 10振動時計『シチズン7230』発売。
1978年 セイコーが年差10秒の『セイコースーペリアツインクオーツ』を発売。
1990年 ドイツのユンハンス社が世界初の電波腕時計を発売。電子時計を標準時刻に活用することで、10万年に一秒の誤差を実現した。
2005年 東京大学の香取俊英博士がストロンチウム光格子時計の開発に成功。精度は10億年に一秒。理論的には300億年に一秒の精度が可能。
2008年 セイコーが機械式12振動時計『クレドールジュリ典雅』を発売。
2009年
グランドセイコー メカニカルハイビート36000

セイコーが、機械式10振動時計
『グランドセイコー メカニカルハイビート36000』
を発売。

ゼニスが三針の機械式10振動時計『エル・プリメロ エスパーダ』を発売。
オーデマ・ピゲが機械式12振動時計『ジュール・オーデマ クロノメーター』を発売。
2012年 セイコーが世界初のGPSソーラー腕時計『セイコーGPSソーラーアストロン』を発売。
ショパールが機械式16振動時計『L.U.C 8HF』を発売。
参考
  • 時計ウェブサイト Grail Watch 2015/6/18 “High Beaters: 5 Beat, 8 Beat, 10 Beat, More!” by Stephen
  • 時計ウェブサイト Watches by SJX 2011/4/25 “Hands-On with The Audemars Piguet Jules Audemars Chronometer AP Escapement Chron AP” by Su Jia Xian
  • 時計ウェブサイト Watch Freaks 2011/1/23 by Spaceview
  • 時計ウェブサイト The Wrist Watch Review 2013/10/3 “Chasing High Beat Rates” by Patrick Kansa
  • ユンハンス社ウェブサイト 2013/1/10「メイドインシュランベルクの革新的な最高性能 - ユンハンス社の電波/ソーラーテクノロジー」
  • 時計雑誌 WatchTime 2/15/12/18 “In the Balance: Zenith Espada vs. Grand Seiko Hi-Beat 36000 by Martina Richter
  • 諏訪精工舎社史「諏訪精工舎30年の歩み」 1972年5月
  • Wikipedia 「原子時計」「圧電効果」「ブローバ」