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和時計とは

不定時法(夏至と冬至の場合)
定時法と不定時法の比較

和時計とは、江戸時代に日本で製作された機械時計です。
この和時計はヨーロッパから伝来した機械時計を模倣し、当時の日本の時刻制度”不定時法”に合わせて製作された独特の時計です。
一日を等分して一時間とする現在の時刻制度を「定時法」と言いますが、明治初期までの日本では一日を昼と夜に分けそれぞれを六等分する「不定時法」を使っていました。季節によって単位時間の長さが変化するため、これに合わせた時計が必要だったのです。(詳細後述)
このような和時計が二百年以上にわたって製作・使用されていたことは世界でも大変珍しいことです。
その形態も純日本化し、櫓時計・尺時計・印籠時計などいくつもの日本独特の時計が製作されました。また美術工芸品としても優れているものが多く、海外でも高い評価を受けています。

機械時計の伝来

フランシスコ・ザビエル

きっかけは、室町時代の末頃からキリスト教とともに、ヨーロッパの機械時計とその製作技術が伝来したことによります。
最も古い記録は天文20年(1551)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の国・山口の大名であった大内義隆にキリスト教布教の許可を願い出た時、贈った品々の中に、自鳴鐘(機械時計)があったといわれています。しかし、この時計は現存していません。日本に現存する最古の時計は、静岡県久能山の東照宮に宝物として保存されているもので、慶長17年(1612)、当時スペイン領であったメキシコの総督から徳川家康に贈られたゼンマイ動力の置時計です。

日本での機械時計の製作

初期一挺天符目覚付掛時計
ミュージアム収蔵の最古の和時計

キリスト教の伝導が進むにつれて、宣教師達は九州や京都に教会付属の職業学校を設け、印刷技術やオルガン、天文機器などとともに時計の製作技術を教えました。そこで、日本の鍛冶たちが指導を受けながら時計を製作したのが、日本の機械時計製作のはじまりです。
和時計は、日本が不定時法をやめて定時法を開始した明治6年を境に徐々に世の中から姿を消していきました。