時間計測の精度を大きく改善した原子時計ですが、これをはるかに凌駕するレベルの新しい原子時計の研究が続いています。
原子は、電波だけでなく、特定周波数の光を吸収・放出します。この光を特定して、時間の基本単位としようとする試みです。
光を用いた時計とは
なぜ電波ではなく光を用いるのでしょうか。それは、光は電波よりも周波数が高いからです。振動するものを基準にして時間計測を行う時計において、電波より高周波数の光を基準とすることは、高精度化へとつながります。
しかし、高周波数であるがために、原子が動くときに生じるドップラー効果が、時計の誤差につながってしまうことが課題でした。これを解決するため、原子の動きを止めて1か所にとどめるための方法が2つ考えられました。
1つは、「イオントラップ」です。電子を1個はぎ取った原子(イオン) を1つだけ電場のわな (トラップ)にとらえ、そのイオンの共鳴周波数を何度も計測して雑音を取り除き、周波数を特定します。この方法の弱点は、計測回数が100万回にも及ぶため、10数時間の計測時間を必要とすることです。
もう1つは、「光格子時計」で、東京大学の香取秀俊教授が発案し自ら開発した、日本オリジナルの方式です。位相のずれた2つのレーザー光を重ね合わせると、互いに強め合う部分と弱め合う部分ができ、このイラストのような卵パックに似た「干渉縞」を生じます。この干渉縞に原子をとらえます。多数の原子を捕えて一気に計測することができ、計測時間を短くすることができます。この方式の弱点は、沢山とらえた原子同士が比較的近くにあるので、相互に影響しあって周波数がずれてしまう可能性があることです。精度が上がると、原子同士の影響が無視できなくなり、それを極小化することがさらなる改善のための研究課題です。
いずれの方式も原子としてはストロンチウムやカルシウム、水銀など、周期表の II・III族とその仲間を使用しますが、現在世界各国の最先端の研究所が、この2つの方式により研究を競い合っています。
最先端を走る日本
光による時計を実現するための大きな課題は、光の周波数を正確に測ることができないということでした。この課題を解決したのは、「光周波数コム(櫛)」と呼ばれる光を測るものさしの仕組みです。開発前は短いものさし(電波)を何度もつないで計測していたため、測定の誤差が大きかったのですが、長いものさし(光周波数コム)が登場したことで簡単に正確に光の周波数を計測できるようになったのです。
光周波数コムの仕組みは、まず超短パルスの光を原子時計で制御し、電波周期程度の間隔で精密に繰り返しパルスを発射し続けます。するとこの光は、原子時計の精度で電波の領域の目盛りを持った光の信号となります。様々な工夫を加えてこの精密な目盛りを基準とすることで、光の周波数を原子時計の精度で測れるようになりました。この技術は、開発されてからわずか5年で、2005年のノーベル物理学賞を受賞しています。
また、光による時計の精度を確認することも課題です。世の中にそれ以上高精度のものがなく、いわば「ものさしがない」状態と言えます。これを解決するために、高精度の時計同士を比較して確認する方法があります。
時計を比較する実験において、日本は世界で最先端を走っています。2011年に国立研究開発法人情報通信研究機構 (NICT) は、機構本部のある小金井市と東京大学本郷キャンパスの間で光周波数信号を光ファイバーで精密に伝送する技術を開発しました。東京大学香取秀俊教授の研究所とNICT時空標準研究室がそれぞれ運用する光格子時計の周波数を比較し、結果10-16台の精度で一致することを確認しました。
ヨーロッパでは、英独仏伊の4研究所を光ファイバーで接続し、それぞれの運用する原子時計の精度を確認するプロジェクトが進行中です。2016年には、フランスのSYRTEとドイツのPTBが運用している光格子時計が、1400kmの光ファイバーで接続され、5×10-17の一致精度が確認されました。アメリカでは、コロラド州の二つの研究所をつないで、同様の確認を行っています。
今後研究が進むと、10年後には、1秒の基準が今のセシウムの電波から、いずれかの原子の光に変わることが期待されています。
超高精度時計がもたらすもの
「光格子時計」は理論上10-18の精度、つまり300億年に一秒の誤差に相当します。地球の誕生から46億年、宇宙ができてから138億年と言われていますから、地球の7倍で宇宙の倍以上の時間です。そこまでの精度の時計は、私達の生活にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
実は、超高精度の時間計測は科学の大きな進歩につながります。アインシュタインが発見した相対性理論では、時間の流れは重力の影響で変わるとされています。重力の強いところでは時間の流れは遅くなります。超高精度な時間計測が可能になると、重力差を計測することができるのです。
重力の影響を直接計測した例があります。情報通信研究機構が、長波標準電波局用の原子時計をまず東京で日本標準時と比較し、その後、標高千メートル近い頂の長波標準電波局に持っていったところ、ほぼ相対論通りの進み方の変化を確認しています。
また、上述の小金井-本郷間の光ファイバーリンクによる周波数一致は、約50mの二拠点の標高差による時間のズレをリアルタイムで検出し補正した上で、確認されています。
そして現在、光格子時計は埼玉県和光市の理化学研究所にもあり、2016年には東京大学と理化学研究所の間で10-18台での比較実験がなされ、15mの高度差を10cm以下の精度で検出することに成功しています。光原子時計によって、このようにわずかな標高差でも相対論効果を確認することができました。光原子時計は基準周波数を生成するのみならず、重力環境を測定するセンサーとしての役割も期待されつつあります。今後、重力センサーとして地震や火山活動に伴う地殻変動をすぐにとらえることができるかもしれません。
その他の分野への実用的応用として、GPSなど測位技術の精度の大幅改善や、光ファイバー通信の飛躍的大容量化などが期待されています。
原子時計の今後の進歩とその波及効果に、今後も注目していきたいと思います。