“世界のセイコー”へ(世界に追いつく)
1. はじめに
1950(昭和25)年の朝鮮動乱による特需景気は日本経済に活力を与え、ウオッチ市場も活況を呈してきます。セイコーは翌1951(昭和26)年、日本初のラジオCM放送、1953(昭和28)年には日本初のテレビCM放映など、積極的に宣伝を強化し、需要の喚起とブランド認知の向上に力をいれていきます。
一方、製造面では懸命な情報収集や研究技術体制の強化により、海外製品の模倣に頼らない、自主的な技術確立を志向していくことになります。
2. マーベル
1956(昭和31)年、紳士用機械式時計「マーベル」を商品化します。セイコーが初めて独自設計した製品で、腕時計の原理原則(狂わない、壊れない、美しい)に立ち返り、新しい設計方針と生産技術設備の導入により開発されました。
国内コンクール(国産時計比較審査:通産省主催)では敵なしで上位を独占。1957(昭和32)年の米国時計学会(日本支部)の腕時計コンクールでもマーベルが男性用腕時計部門でスイスをはじめとする外国品を抜いて第一位にランクされ、「驚異の時計」「頭脳明晰な健康優良児」と称賛を浴び、当時の「国産品は精度が悪い、壊れやすい」というイメージを払拭していくことになります。
同時に、「これでスイスに対抗できる」「自分たちの信ずる道を進もう」という自信とモチベーションを飛躍的に高める契機になりました。
3. グランドセイコー
1959(昭和34)年、マーベルをベースにさらに高精度を追求した「クラウン」を開発します。腕時計コンクールではマーベルを上回る優秀性を証明しました。
1960(昭和35)年このクラウンをベースにさらなる高精度化のために、部品精度・組立技術・調整技術のすべてを注ぎ込んで誕生したのが「初代グランドセイコー」です。
当時の世界最高の精度基準(国際クロノメータ検査基準(B.O)優秀級規格)より一段と厳しいグランドセイコー規格を作り、名実ともに世界最高峰の腕時計としての地位を確立します。
特に、1969(昭和44)年に商品化したグランドセイコーVFA(10振動)は、翌年開催された大阪万博を記念して製作された「タイム・カプセル EXPO'70」に収蔵されることになります。
また、「セイコースタイル」と称されるセイコー独自の造形を生み出し、実用時計の最高峰として現在もその位置を確立しています。
4. セイコースポーツマチックファイブ
セイコーは1960(昭和35)年前後から若者市場を開拓するために、手頃な価格の商品を投入しますが、大きな需要につなげることができないでいました。
1963(昭和38)年、「セイコースポーツマチックファイブ」を商品化します。マジックレバーと呼ばれる独自の自動巻機構、防水構造、すっきり見やすい日曜一体窓、切れないゼンマイや耐衝撃構造の搭載等、当時としては革新的な技術・要素を盛り込むみ、大ヒットとなりました。
また、翌1964(昭和39)年、東京オリンピックの公式計時を担当したことにより、世界的にセイコーの認知度が高まり、ファイブは海外でも大きく売り上げを伸ばすことになります。
ファイブは世界の自動巻時代を拓き、セイコーの高品質・高信頼のイメージを世界中に浸透させました。
5. 東京オリンピック公式計時を担当
1964(昭和39)年の東京オリンピックは「科学のオリンピック」「国産品のオリンピック」を標榜し、日本の戦後復興の力と国の威信をかけ開催されました。セイコーは1960(昭和35)年、公式計時の意志を固めると、セイコーグループ一体となって計時器材の開発に取り組みます。最新の技術を取り入れた計36機種1,278台の計時機材を開発し、訓練された計時スタッフ172名の奮闘により、無事大役を果たしました。
オリンピックの大舞台で活躍したセイコーは世界に認知され、イメージは飛躍的に向上しました。
また、オリンピックのために開発した卓上型水晶時計(クリスタルクロノメーター)、プリンティングタイマー等の開発は新しい事業の創出につながり、セイコーグループ飛躍の基礎となりました。
セイコーマイルストーン「オリンピック計時への挑戦」
6. スイス天文台コンクールで活躍
1964(昭和39)年、自動車の「F-1」に相当するスイス(ヌーシャテル)天文台主催の精度を競うコンクールに参加します。
初年度は散々な結果でしたが、素材・部品形状・加工精度・調整技術など改良を重ね、3年後の1967(昭和42)年には企業賞の2位3位と躍進、翌1968年のジュネーブ天文台コンクールでは過去最高の精度調整の記録を打ち立て上位を独占、名実とも世界を追い抜くことになりました。
1960年代について
1960年代は、機械式腕時計は完成期とも言えるほどの発展を遂げた時期で、セイコーは精度コンクールの分野でも量産の分野でも、世界に追いつき、追いぬいた時代でした。
同時に、「時計の電子化」が進展し、1969(昭和44)年12月にセイコーが世界初のクオーツ(水晶)腕時計を発売することにより、機械式腕時計からクオーツ腕時計へと大きく舵を切ろうとする時期でもありました。