クオーツイノベーションを興す(世界はセイコー方式へ)
1. 腕時計の電子化
1957(昭和32)年、米国ハミルトン社による「テンプ駆動式電池腕時計」、1960(昭和35)年ブローバ社が開発した音叉時計「アキュトロン」発売によって、世界の時計業界に衝撃がはしり、「腕時計の電子化」の熾烈な開発競争の時代に入っていきます。
セイコーは1958(昭和33)年に放送局用水晶時計を開発し、翌年納入していますが、大型ロッカー並みのサイズで、腕時計サイズにするには体積で30万分の1にする必要がありました。
1959(昭和34)年に社内にプロジェクトを設置して、テンプ駆動式・音叉時計・クオーツ時計など各方式の研究に取り組み、最も開発難易度が高いが、最も精度が高いクオーツ方式を将来の本命技術と定め、その開発に集中していきます。
1960(昭和35)年、セイコーは1964(昭和39)年開催の東京オリンピックで公式計時を担当する意思を固め、オリンピック用の卓上型クオーツ時計の開発に拍車がかかります。卓上型の一号機が完成したのが1962(昭和37)年、以降改良され1964(昭和39)年にクリスタルクロノメーターが発売され、東京オリンピックで親時計として活躍します。1966(昭和41)年に懐中型、1967(昭和42)年に腕時計のプロトタイプが完成。直ちに1960年代での商品化方針が打ち出され、開発に大きな拍車がかかりました。
2. 世界初のクオーツ腕時計“セイコークオーツアストロン”の開発
そして、1969(昭和44)年12月25日に世界初のクオーツ腕時計「セイコークオーツアストロン35SQ」を発売します。価格が45万円と当時の大衆車と同等の価格でした。
当時、各社各様のクオーツの方式が開発されますが、後にセイコー方式に収斂し世界標準方式となった事実は、セイコーの技術の卓越性と先見性が証明されたといえます。
セイコークオーツアストロンの主な技術は、小型・低消費電力で耐衝撃性に優れた「音叉型水晶振動子」、モーターの分散配置と一秒運針による低消費電力で省スペースの「オープン型ステップモータ」、そして超低消費電力の半導体「CMOS‐IC」の3点です。その後、このセイコー方式に改良が加えられるものの、基本的な仕組み構造は変わっていません。
その偉業がIEEE(米国電気電子学会)に認められ、革新企業賞(2002年)とマイルストーン賞(2004年)をダブル受賞しています。また、米国スミソニアン博物館に永久展示され、2014年には日本の機械遺産に認定されました。
3. 水晶腕計の普及
音叉時計が特許の囲い込みで普及しなかった事例を目の当たりにしたセイコーは、クオーツ腕時計の開発で考案された数多くの特許の公開に踏み切ります。それにより、国内外の時計メーカーはセイコー方式を採用し、クオーツ腕時計の普及に弾みがつき、熾烈な開発競争の中、小型薄型化・高精度化・コストダウンが急速に進み、水晶腕時計時代が一気に到来します。
小型薄型化
セイコーは1972(昭和47)年、小型キャリバー03系を開発し、機械時計では困難であった高精度の婦人用市場を開拓します。1974(昭和49)年、薄型小型キャリバー4130を発売し新しい紳士用ドレス市場を切り拓き、1978(昭和53)年には機械体の厚みが0.9ミリ(ケース総厚2.5ミリ)という極薄型商品を発売します。
低パワー(消費電力)化
小型薄型化と電池長寿命の長期化をめざし、低パワー化の技術開発が進みますが、セイコーは1978(昭和53)年にステップモーターのパルス幅補正駆動(イーグル)回路を開発し、大幅な低パワー化を可能にしました。以降のクオーツ技術の標準となりました。
高精度化
1978(昭和53)年に温度補正用の水晶振動子を搭載し、年差(年間の進み遅れ)5秒という高精度を実現した“ツインクオーツ”を発売し、クオーツの高精度化を促進します。その後、新しい振動モードを持つ水晶振動子等を開発するも、作り込みの容易な「IC温度補正」方式に収斂していくことになります。
多機能化
1973(昭和48)年、セイコーが現在の主流となっているFE方式液晶を搭載した世界初のデジタルクオーツ(秒表示付き)を発売します。当時はDSM方式の液晶や発光ダイオード(LED)方式が存在していましたが、FE方式が最も低パワーで視認性がよかったため、世界のデジタルウオッチはFE方式の液晶に収斂していきます。
1975(昭和50)年には世界初の多機能(クロノグラフ付き)デジタルクオーツ0634を発売、1977(昭和52)年にはアラームクロノグラフを付きデジタルクオーツA159を商品化し、多機能化が促進されました。
1982(昭和57)年には世界初の液晶テレビウオッチを発売、ウエアラブル機器として注目を集めました。以降、コンピュータ腕時計、センサー付き腕時計が開発され、クオーツは機械時計では不可能であった“多機能化”を実現し、新しい市場を切り開いていくことになります。
4. コストダウンとムーブメント外販がもたらした時計産業構造の変化
1980年代に入るとクオーツ腕時計は、部品価格の低減と自動組立生産ラインの開発によって、コストダウンが急激に進みます。それと時期を合わせるように、アナログ(針式)クオーツムーブメントの外販が始まりました。ムーブメント外販は新たに完成品アセンプラーを誕生させ、だれでも容易に時計完成体ビジネスに参入できる産業構造が確立されることになります。
中国(香港)は国際的な外装部品の生産地・組立拠点となり、ウオッチ生産の国際分業が一挙に進展することになります。
世界的な産業構造の変化の中で、量産化に優れた日本メ一カーがムーブメント外販市場をリードしクオーツの普及が加速しますが、結果的に水晶腕時計の価値を低下させる要因になったことは否めず、徐々に、大量生産が困難な機械式時計の価値が高まっていくことになります。