服部金太郎年譜
1860(万延元年) 江戸京橋采女町で生まれる
1874(明治7年) 時計屋を志し、亀田時計店に年季奉公する(13才)
1877(明治10年) 「服部時計修繕所」の看板あげる(自宅内)(17才)
1881(明治14年) 服部時計店を創立する(21才)
1885(明治18年) 横浜居留地の外国商館と取引を始め、洋(輸入)時計の卸・小売に専念する(25才)
1892(明治25年) 精工舎を創立し、掛時計の製造を開始する(31才)
(吉川技師長指導のもと、従業員10余名で本所石原町で創業)
1895(明治28年) 懐中時計「タイムキーパー」の製造を開始する(35才)
1899(明治32年) 目覚時計の製造を開始する(ニッケルメッキ処理)(39才)
単身で欧米時計工場視察に出かける(最新鋭の工作機械の視察)
1901(明治34年) 日本の時計営業の最大規模となる(41才)
1905(明治38年) 上海市香港市に販売1909(明治42年)代理店を開設する(45才)
1909(明治42年) 懐中時計「エンパイヤ」発売(49才)
ピニオン自動旋盤機を自社開発 生産性を飛躍的に高める
1913(大正2年) 国産初の腕時計「ローレル」を発売(53才)
1915(大正4年) 従五位に叙せらる(国産時計産業発展の貢献が認められ、後に日本・東洋の時計王と称される)(55才)
1923(大正12年) 関東大震災(9月1日)で精工舎・服部時計店(仮事務所)が全焼するも翌月工場、11月には事務所再興に着手する(63才)
震災で焼失した修理品を全数(約1500個)新品に交換する
1924(大正13年) SEIKOの商標を使用する(64才)
1929(昭和4年) 懐中時計19型「セイコーシャ鉄道時計」製造開始(国産初)
1930(昭和5年) 財団法人 服部報公会(※1) 創設(学術奨励援助・公益事業援助)(70才)
1932(昭和7年) 服部時計店本店(現和光)落成(71才)
1934(昭和9年) 73才逝去