1999年、セイコーは世界で初めてぜんまいで駆動、発電して、クオーツで制御するウオッチ「スプリングドライブ」を発売しました。 1982年に開発がスタートしてから約20年の歳月をかけて商品化された、セイコー独自のスプリングドライブは、機械式とクオーツを融合した第3のエンジンと呼ばれる究極の時計です。
1. スプリングドライブの開発の課題
スプリングドライブの開発にこれだけの時間がかかったのは、当時の技術では克服しがたい課題が山積していたからです。
以下の4つが主要な課題でした。
・ぜんまいの低トルクおよび高トルク域での精度保証
・持続時間を確保するための低損失発電機の開発
・低消費電力駆動可能なIC開発
・高効率自動巻機構の開発
セイコーの技術陣は様々な工夫でこれらの課題を解決していきました。
2. スプリングドライブ開発物語
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STORY 01
赤羽好和が思い描いた機械式時計の高精度化
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1969年、セイコーは世界で初めてクオーツ式腕時計「セイコーアストロン」を商品化し、腕時計の精度は飛躍的に向上しました。
時計のクオーツ化が急速に進む1970年代後半、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に、まったく新しい機構の時計を思い描いていた一人の若手技術者、赤羽好和(故人)がいました。
機械式時計をクオーツ時計並みに高精度化するため、調速機構を水晶とICの制御に置き換えるという発想です。赤羽は1971年に諏訪精工舎に入社し、クオーツウオッチの電池の開発や、通常の水晶振動子に加えて温度変化による誤差を補正するもう一つの水晶振動子を備えた「ツインクオーツ」の開発に携わります。
これにより精度が年間の進み遅れが5秒と飛躍的に上がりました。
やがて赤羽はツインクオーツの精度補正の方法を応用し、「クオーツの標準器でメカウオッチを補正する“クオーツロック”」の構想をまとめ1978年に基本特許の出願をします。
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STORY 02
"クオーツロック"実用化に向けた開発への道のり
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1982年、諏訪精工舎では新製品開発の照準をエネルギーに当て、ソーラー発電と手巻き発電(自動巻発電クオーツ キネティックの前身)の二つの大きな開発テーマに取り組んでいました。
赤羽は多忙な開発設計部門へ出向き、新たなテーマとして取り上げてもらうよう、"クオーツロック"の原理を熱心に説明したのでした。
"クオーツロック"の原理を赤羽は次のように述べていました。
「例えれば、山の頂上から正確なペースメーカーに誘導されて自転車で降りるとしたら、エネルギーは自転車が下りる力で十分。あとは横を走るペースメーカーを追い越さないようにタイミングよくブレーキをかけてやれば良い。」
"クオーツロック"の原理を検証するために試作機が作成され、4時間も動き続けました。
実用化には消費エネルギーを1桁低減しなければなりませんでしたが、省エネルギー化が進んでいた当時の技術では1桁の低減は十分に可能と思われ、手巻き発電の派生プロジェクトとして、1982年に第1次開発がスタートしました。
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STORY 03
二度の開発中止の末、「スプリングドライブ」誕生へ
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1982年に第1次開発がスタートしましたが、ぜんまいで発電した電力を使用してICを48時間持続させることは当時の技術では不可能に近く、実用化にはエネルギー効率、ICの消費電力(最終製品と比べると約1/100)の大幅な改善が必要でした。
(持続時間48時間とは、土日の2日間、腕から時計を外しても動きつづけている時間を目標としていました)
その結果、このまま作業を続けても実現の可能性が乏しいとの理由から、1983年に開発は中断されました。
10年後の1993年、第2次開発が始まります。
1988年にセイコーエプソンが実用化した自動巻き発電クオーツ キネティックによって、エネルギー効率とICの低パワー化が格段に進歩し、スプリングドライブを実現するための技術環境が大きく進歩したからでした。
第2次開発は、機械式腕時計の生産に力を入れていたセイコー電子工業(現SII)との共同開発が行われました。
しかし、様々な努力と工夫を重ねたものの、両社の試作機の持続時間は1日程度に過ぎず、消費電流はまだまだ大きく(最終製品と比べると約5倍)、それを大幅に小さくする方法は見つからず、開発は1994年に打ち切られました。
第3次開発の指示は、ウオッチ事業部副本部長になった赤羽から発せられました。
1997年、いよいよ第3次開発のスタートです。
最大の課題は持続時間が目標の48時間に到達できる目処が立っていないことでした。
そこで、回路設計チームによる省電力化への取り組みが行われました。発電効率のための開発とともに、従来は手掛けていなかった消費電力の大幅削減に取り組むことで持続時間を伸ばそうと考え、ブレーキをかけた時にロスする電力の有効利用を実現しました。
これに加え電力流出が極端に少ないICが完成したのは1997年12月のことでした。
SOI-ICと呼ばれるこの画期的なICの開発によって消費電力がついに発電を下回り、スプリングドライブ実用化への道が開けたのです。
そして1998年4月のバーゼルフェアで技術発表に漕ぎ着けたのでした。
しかし、その年の8月、スプリングドライブの生みの親、赤羽好和の突然の訃報が知らされます。享年52歳でした。その後の開発は順調に進み、1999年バーゼルフェアに出品し、大きな反響を得、同年12月11日に、キャリバー7R68搭載モデルが発売されました。機械式時計とクオーツの特長を融合した、世界初のセイコー独自の次世代の第3の方式「スプリングドライブ」の誕生です。
赤羽の着想から20年余り、開発の着手から足掛け18年が経っていました。
3. スプリングドライブの仕組み
1. スプリングドライブは、機械式時計と同様に巻き上げられたぜんまいがほどける力で時計を動かします。
2. このぜんまいの力のごく一部を磁石を使ったローターに伝え、ローターが回転することにより磁束の変化を生じさせ、電気を発生させます。
3. 生み出された電気はICを駆動し、水晶振動子を発振させます。水晶振動子は1秒間に32,768回振動(32,768Hz)します。
4. 水晶振動子の振動を分周回路と呼ばれる回路によって、1秒間に8回の信号(8Hz)に変換し、8Hzの周波数で一定の基準信号を出します。
5. ICは水晶の基準信号とローターの回転速度を比較しながら、ローターに磁力でブレーキをかけたり外したりして、基準信号の8Hzに合うようにローターの速度を一定に保ちます。
6. この結果、ぜんまい→ローター→歯車→針の順に制御された動きを伝え、正確に時を刻むことができます。
4. スプリングドライブの特徴
・エネルギー源がぜんまいであるため、一次電池や二次電池等の大きな電気エネルギーを蓄積する部品がありません。また、クオーツ時計のようなステップモーターもありません。
・ぜんまい駆動の時計でありながら時間基準は水晶振動子であるため、月差±15秒以内とクオーツウオッチと同等の高い時間精度を実現しています。
・秒針の運針は時の流れを感じることができるスイープ運針です。(スイープ運針:クオーツ時計のように一秒ずつのステップ運針や機械式時計のように細かく刻むビート運針ではなく、流れる運針を指します)
・運針はモーターではなく、ぜんまいの力で行うため長くて太いしっかりした針を用いることが出来ます。
・電池切れの心配があるクオーツとは違い、機械式時計同様に長い年月を経ても時計を使いたい時にいつでも取り出して使えます。
5. スプリングドライブ搭載のモデル
基本輪列からクロノグラフ輪列への動力伝達の方法として、二つのディスクを押し付け合わせてクラッチをつなぐ垂直クラッチ方式を採用。
秒針がスイープ運針することと相まって、初めて針が一切ずれない正確なストップウオッチ機能を実現しました。
国際宇宙ステーションで使用するために開発設計し、その高い性能が宇宙空間で実証されました。
宇宙ステーション内は無重力の環境であるにもかかわらず、自動巻ウオッチとして機能し続けました。また、スプリングドライブはクオーツウオッチのように電池を使用していないので、宇宙船外活動の間も急激な温度変化や強い放射線にさらされても電池破損の心配もなく、高い気密性によって、真空に近い環境でも内部の潤滑油が気化して失われることがありません。滞在の期間中常に正確な時間を表示し、ストップウオッチも完璧に作動しました。
高級複雑時計として極めて高度な設計技術と組立調整技能が要求される「ミニッツリピーター機構」を、スプリングドライブに搭載しました。
鐘の音で時刻を知らせるミニッツリピーター機構にとって、無音のスイープ運針を持つスプリングドライブは最適な駆動方式であり、静寂の中で時を告げる美しい音色を楽しむことができます。
三つの香箱を直列に配置することにより、最大約8日間(約192時間)の連続駆動を可能にしました。
精度も月差±10秒にアップしています。
参考
・マイクロメカトロニクスVol.53, No.200(社団法人日本時計学会)
・世界の腕時計No.60、61(ワールドフォトプレス)―「スプリングドライブ開発秘話」織田一朗