~世界のセイコーへ~
1964(昭和39)年の東京オリンピックはセイコーにとって様々な意味で極めて大きなイベントとなりました。1960年のローマ大会後、「東京オリンピック」を最優先課題に掲げ、グループ各社が協力して機器の開発を行い、東京オリンピックの公式計時の役割を無事果たすことができ、セイコーのブランドを世界に広く知っていただく機会になりました。また、1969(昭和44)年の世界初のクオーツ腕時計アストロンを含む、その後の革新的な製品開発の契機になり、世界的規模の販売拡大につながりました。
東京オリンピック開催決定、0からのスタート

1959(昭和34)年5月のミュンヘンにおけるIOC総会でオリンピック東京大会の開催が決定されると、日本では戦後の復興から次の発展期を迎え始めた時期でもあり、日本中が沸き立ちました。組織委員会は「国産品のオリンピック」「科学のオリンピック」をテーマとして掲げ、産業界も積極的な協力の姿勢を示しました。
当時の服部正次社長は、1960(昭和35)年にローマで開かれた第17回オリンピックの視察報告を受け、情熱と強力なリーダーシップによって、オリンピックの公式計時に取り組むことを決断しています。オリンピックの計時といえば、1932(昭和7)年のロサンゼルス大会以来、スイスのオメガ、ロンジンの独占状態でした。はたしてセイコーで競技用の時計が開発できるか、開発できても国際的に認められて正式に採用されるかどうか、ほとんど白紙の状況でした。
限られた時間の中での開発
当時、セイコーグループでスポーツのタイム計測について知識をもっている人はおらず、計時の主役であったスポーツ専用のストップウオッチすらセイコーにはありませんでした。
大会までわずかな期間しか残されていなかったため、以下の通りセイコーグループ3社で分担して、1961(昭和36)年から各種機器の開発を行いました。
グループ会社名 | 開発商品 |
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精工舎 | ・観客用大時計等大型のもの ・プリンティングタイマー※ (自転車、近代五種、馬術用) |
第二精工舎 | ・ストップウオッチ ・水泳用電子計時装置 ・プリンティングタイマー(ボート、カヌー、水泳、陸上用) |
諏訪精工舎 | ・クリスタルクロノメーター ・プリンティングタイマー※ (自転車、近代五種、馬術用) |
※※プリンティングタイマー(自転車、近代五種、馬術用)は2社の共同製作。
新規開発機器のうち、いくつかの機器の開発経緯は次の通りです。
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STORY 01
正確なストップウオッチの開発
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STORY 02
小型水晶時計の開発
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STORY 03
操作が簡単で見やすい大型時計、大型表示装置の開発
オリンピックの成功、“世界のセイコー“へ
セイコーは上述したものを含む36機種1278個に及ぶ機器と延べ172名の人員を動員して、1964(昭和39)年の東京オリンピック大会の成功を支えました。「国産品のオリンピック」「科学のオリンピック」といわれた大舞台での活躍により、セイコーの技術力が世界で認知され、イメージは飛躍的に向上し、国際的なブランドになりました。これを契機に、セイコー製品の販売は世界的規模で拡大していくことになりました。