~セイコー国産腕時計3点 2014年度「機械遺産」に認定~
2014年8月7日(機械の日)、セイコーの腕時計3点が日本機械学会の選定する「2014年度機械遺産(※)」に認定されました。
機械遺産に認定されたセイコーの「国産初の腕時計"ローレル"(1913年)」「世界最高峰の機械式腕時計"(初代)グランドセイコー"(1960年)」「世界初のクオーツ腕時計"クオーツアストロン"(1969年)」は国産腕時計の発展の歴史であり、世界の腕時計の技術進化の歴史とも言えます。 また、明治初期、欧米先進国に大きく立ち遅れていた日本の時計産業が1960年代に肩を並べ追い越し、そして、世界の腕時計産業にクオーツ革命を起こした、まさに「時代を画した腕時計」たちです。
※機械遺産について
日本機械学会が2007年110周年の記念行事として創設した事業。
歴史に遺す機械技術関連資産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的としている。
1. 機械技術の「発展史上」重要な成果を示すもの
2. 機械技術で「国民生活・文化・経済・社会技術教育」に貢献したもの
緒言
現存する最古の腕時計は1806年に製作されたナポレオン后ジョセフィーヌのものとされるが、時計師による一個作りで量産されたものではない。最初の量産とされるのは1879年ドイツ海軍のもので、砲撃のタイミング測定用の腕時計をジラール・ペルゴ―社に2,000個発注した記録が残っている。
腕時計の普及の奔りとなったのは1911年にカルティエが発売した「サントス」で、デザイン的に好評を博したことから、腕時計の開発熱が世界的な高まりをみせ、1914年に始まる第一次世界大戦が本格的に普及を促す契機となった。以降、腕時計は"高精度""実用機能""量産"化技術を磨き進化してきた。
今回機械遺産に認定されたセイコーの「ローレル(1913年)」、「初代グランドセイコー(1960年)」、「クオーツアストロン(1969年)」は、世界の腕時計の技術進化の歴史といえる。要約すれば「ローレル」で世界から技術を学び、「初代グランドセイコー」で世界の技術水準に肩を並べ、「クオーツアストロン」では世界の腕時計市場にイノベーションを興し、腕時計の新しい歴史を創造したといえる。
機械式腕時計の技術の歩み
1872年(明治5年)、日本は不定時法から定時法に時刻制度を変更し、時計産業も大きな転換期を迎えた。
300年近く作り続けてきた和時計は「無用の長物」になり、開国以降の旺盛な時計需要を満たすためには、海外からの輸入に頼らざるを得なかった。セイコー(旧服部時計店)は1881年に輸入時計の販売からスタートし、11年後の1892年に精工舎を設立し掛時計の製造を開始した。3年後の1895年には懐中時計を製品化するも、この時代の国産メーカーには独自に開発する技術力は乏しく、いずれもスイスやアメリカなど時計先進国の時計を母体に、試行錯誤を経て開発製造したものであった。
-
STORY 01
国産初のローレルの開発(1913年) ~世界から学ぶ~
-
緒言のとおり、世界的に腕時計への注目が集まるのは1911年以降であり、1913年のローレルの開発は、遅れをとっていた国産メーカーにとって冒険的で挑戦的な事業であった。当時は懐中時計が主流の時代であったが、創業者の服部金太郎は「腕時計の時代が必ず到来する」と判断し国産ではいち早く腕時計の開発に取り組んだ。
ローレル開発の意義は「先見性」と「挑戦的な目標設定」にあり、このことが以降の国産時計業界に刺激を与え、互いに切磋琢磨する中で業界全体の急速なレベルアップにつながり、後に日本が世界の時計産業のリーダーになっていく要因の一つになった。
ローレルのムーブメントはスイス製が母体と見られるが、当時の技術レベルや生産設備からみて"12型"(φ26.65mm)という小型化は相当に技術的ハードルが高く、この挑戦によって設計技術・微細加工技術や工作機械開発が大きく進んでいくこととなる。
-
STORY 02
マーベルの開発(1956年) ~世界に追いつく~
-
マーベル以前は参考とする海外の時計があったが、マーベルはセイコーが初めて独自設計したもので、以降のセイコーの跳躍台となったキャリバーである。スイスに劣らない品質性能を実現したことにより、セイコーにとって「スイスに対抗できる」「自分たちの信ずる道を進もう」という自信とモチベーションを飛躍的に高める動機になった。
マーベルは高精度化のためにムーブメントサイズを一回り大きく(11‐1/2型)することにより(1)テンプと香箱を大きくし歩度の安定性と高い動力性能を得て(2)歯車を大きく歯数を増やしトルクの伝達ムラを少なくし(3)締結部材間の中心距離を大きくしたことでネジ締めによる歯車支持軸(ほぞ穴)の通り違いを防ぐなど、時計の原理原則に立ち返り、根本から独自設計した。また、プレス精密穴明け等の新生産加工技術や分解・組立しやすい構造を盛り込んだ。
その結果、国内コンクール(国産時計比較審査:通産省主催)では敵なしで上位を独占。1957年の米国時計学会(日本支部)の腕時計コンクールでもマーベルが男性用腕時計部門でオメガをはじめとする外国品を抜いて第一位にランクされた。新しいコンセプト・設計方針と新生産技術設備の導入により開発されたマーベルは、「驚異の時計」「頭脳明晰な健康優良児」と称賛を浴びるなど、国産メーカーにとっては画期的な出来事であった。そして、当時の「国産品は精度が悪い、壊れやすい」というイメージを払拭していくことになる。
-
STORY 03
グランドセイコー(初代:1960年) ~世界を追い越す~
-
-
STORY 04
世界の標準となったセイコーの技術
-
1. 日曜一体窓
時刻表示の歴史は「2針(時・分)」から始まり、3針(小秒針タイプ→センター秒針)、カレンダー(日→日曜)へと便利な実用機能が付加されていく。
1963年にセイコーは日付・曜日を一つの窓に表示する機構を開発、すっきりとしたデザインと見易さが評価され、現在では世界標準になっている。
2. セイコー自動巻機構"マジックレバー" ~自動巻の普及を促す~
自動巻腕時計は1924年に初めてイギリス人のハーウッドが開発し、1931年にローレックスが完成度の高い自動巻腕時計を製品化し量産が始まるが、自動巻構造は複雑なために部品点数も多く大衆の手が届く価格ではなかった。
セイコーも1956年に国産で初めて自動巻腕時計を発売する。そして1959年にセイコーは"マジックレバー"と呼ばれるシンプルな機構の"爪レバー方式"の自動巻を開発。価格が安く品質・巻上性能も高かったため、瞬く間に世界を席巻し、自動巻腕時計の大衆化時代を切り拓いた。
(1966年にはセイコーの輸出の殆どは自動巻で生産量はスイス自動巻全体を上回った)
クオーツ腕時計の技術のあゆみ
クオーツ時計は1880年にピエール・キュリーが電気石に電圧をかけると正確な振動が発生する「圧電効果」を発見したこと、その「圧電効果」を基に1927年にベル研究所のウォーレン・A・マリソンが水晶振動子の発する周波数を分周し、同期モーターにつないだ試作機を作ったことに始まる。しかし、1958年にセイコーが放送局用に製作したクオーツ時計は大きなロッカー並みのサイズで、腕時計にするには体積で一万分の一以下、消費電力で一千万分の一以下にする必要があった。
-
STORY 05
セイコークオーツ腕時計の開発の流れ ~東京オリンピックが後押し~
-
セイコーのクオーツ腕時計への開発の取り組みは1959年に59Aプロジェクトが発足したことに始まり、1960年にセイコーが1964年東京オリンピック公式計時の担当を決断することによって開発に拍車がかかる。可搬型水晶時計の一号機が完成したのが1961年、以降改良され1964年にクリスタルクロノメーター(951型)が発売され東京オリンピックで標準時計として活躍する。1966年に懐中型(952型)、1967年に腕時計のプロトタイプが完成。直ちに60年代内の商品化方針が打ち出され、開発に大きな弾みがかかり、1969年12月25日に世界初のクオーツ腕時計「セイコークオーツアストロン35SQ」が発売された。
-
STORY 06
クオーツアストロンの主要小型化技術 ~世界標準方式となった技術~
-
腕時計サイズに小型化するには以下の3つの主要技術の開発が不可避であった。
1. 水晶振動子の小型化・安定化 ~音叉型水晶振動子の開発~
水晶振動子は1.5ボルトの小型電池で高い振動数を発振し、温度変化や振動・衝撃にも耐えなければならない。 小型化は水晶振動子を棒状から音叉型にすることによって可能になり、安定した振動を得られた。衝撃に対しては真空カプセル内に振動子を吊るす方法を考案し、温度補正についてはサーミスタ式温度補正方法を採用して小型化と安定化を実現した。
音叉型の加工が最大の難題であった。発売当初は手作りに近い製造方法であったが、その後、技術開発が急ピッチで進み、振動子の周囲をふっ酸で溶かすリソグラフィーによる製造技術の発明により大量生産を可能にした。
発振周波数は高精度を実現するために高い周波数にすると消費電力が大きくなるため、当時は諸条件から総合的に判断し8,192Hzとしたが、その後、電子回路の省電力化が図られる中、16,384Hzを経て現在の標準である32,768Hzとなった。セイコーの開発したこの音叉型水晶は今日のクオーツ腕時計の世界標準になり、水晶振動子を利用する多くの機器の時間標準源として定着している。
2. 低消費電力 ~CMOS-ICの開発~
水晶振動子が発する周波数を分周し、電気的に処理し、モーター・輪列に伝える電子回路の消費電力をいかに省電力化するかが大きな課題だった。発売当初はハイブリッドICで商品化していたが、翌年に省電力型のCMOS-IC(他社製)を採用するも歩留まりが悪いことから、間もなく自社で開発したICに切り替えた。約20μWの低パワーで動くICであったが、現在のクオーツ腕時計のIC消費電力は0.1μWレベルにまで省電力化されている。
3. モータの低消費電力化・小型化 ~オープン型ステップモーターの開発~
電気信号を針の回転に換える変換機構(モーター)もゼロからの開発であった。さまざまな方法を考案するも目標とするサイズ(直径30mm、厚み5.3mm、容積3.74cc)にどれも収まらなかった。そこで、0.02mmの極細線を2万回巻いたコイルに、1秒に一回だけ通電しモーターを60度ずつ回転させるステップモーターを開発し、ローターとステーターを分散配置させて、機械体内部に収納する構造開発により大幅な小型薄型化に成功した。 これが後にクオーツ腕時計駆動モーターの世界標準となる「オープン型ステップモーター」である。
-
STORY 07
クオーツアストロンの意義
-
クオーツアストロンの意義は、当時多くの方式が存在した中、世界がセイコー方式・技術に収斂したという事実は、セイコーが特許を公開したこともあるが、セイコーの技術の卓越性と先見性が証明されたことに他ならない。
2004年にはその偉業がIEEEに認められ、マイルストーン賞(IEEE MILESTONE IN ELECTRICAL ENGINEERING AND COMPUTING)を受賞している。
最後に (以降の腕時計の技術動向)
このたび機械遺産に認定された3つの腕時計は、いずれも日本(セイコー)が世界の時計業界のリーダーに上り詰める契機となった製品である。
1960代にピークを見た機械式時計は、一時クオーツに大きく影響を受けるが、現在では装飾価値・財産価値として(トゥールビヨンを初めとする複雑時計など)のメカ的な面白さ美しさを中心に、おもに高級分野での開発が展開されている。
クオーツアストロン35SQから始まるクオーツ腕時計は以降、高精度化・小型薄型化・コストダウンが急速に進み、大きく市場を変革することになる。また、全電子式デジタル腕時計が開発され、時計の多機能化が促進された。 最近では電波塔からの標準時刻信号を受信して電波の時間標準源であるセシウムビーム原子時計の時刻に合わせる電波修正時計や、GPS衛星を捕捉して世界中のどこにいてもその場所の時刻を表示する腕時計が発売されている。さらに、光エネルギーや人の動きを電気エネルギーに変換して動き続ける電池交換不要の腕時計も商品化されている。これらの腕時計は、いずれも通常は音叉型水晶振動子の精度で動作し、省電力化と小型化を追求したCMOS-ICとステップモーターで駆動している点は当時と変わりない。
なお、2012年に発売したセイコーGPSソーラー腕時計に"アストロン"の名を40数年ぶりに与えたが、「クオーツアストロン35SQ」のように再び世界標準となることを願って命名したのである。
※「ローレル」は精工舎(現セイコークロック)、「初代グランドセイコー」と「クオーツアストロン」は諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が設計製造した。