―世界に自動巻腕時計の一時代を拓いた商品―

セイコースポーツマチック・ファイブについて

セイコースポーツマチック・ファイブ
セイコースポーツマチック・ファイブ

1963(昭和38)年、セイコーは「セイコースポーツマチック・ファイブ」(以下ファイブ)を発売しました。
実用機能(中3針・デイデイト(日付/曜日)・自動巻・防水)をフル装備した、価格が手頃で斬新なデザインの腕時計「ファイブ」の登場は時計市場で衝撃的に受け止められ、お客様の圧倒的な支持をうけ、発売直後から爆発的な大ヒット商品となりました。

セイコーはファイブ発売の翌年(1964年)に開かれた東京オリンピックの公式計時を、革新的な計時装置を開発して大成功裏に終わらせました。それにより、全世界にセイコーブランドの技術力の高さが認められ、翌年(1965年)から「ファイブ」の輸出が急速に拡大しました。
(1966年のセイコーファイブの輸出数は、スイス全体の自動巻の数を上回ったとされる)

「ファイブ」の世界的なヒットは「自動巻腕時計の大衆化」をもたらし、「ファイブ」の仕様とスタイルは以降の実用機能腕時計のスタンダードとなり、現在に至っています。

「ファイブ」のヒット要因について

セイコー独創のシンプルな自動巻機構「マジックレバー」の搭載

セイコージャイロマーベル
セイコージャイロマーベル

1959年、セイコーは全く新しい自動巻機構「マジックレバー」を開発し、マーベルに初めて搭載しました。(セイコージャイロマーベル)

以降、このオリジナル機構を洗練させ、「ファイブ」に搭載します。
スイスを含め、当時の自動巻機構は「切換伝え車方式」や「遊星車方式」と呼ばれる複雑で高価な機構でした。
セイコーは「便利な自動巻機能を広く世界の人々に使っていただきたい」と考え、全く新しい自動巻機構の開発に取り組みました。そして完成したのが、部品点数が少なく、信頼性の高いシンプルな自動巻機構「マジックレバー」でした。この機構の開発によってそれまで高価だった自動巻腕時計が手ごろな価格になり、「ファイブ」の発売を契機に世界中で自動巻腕時計の大衆化が進んでいきました。

マジックレバー方式
マジックレバー方式
切換え伝え車方式
切換え伝え車方式

マジックレバーの原理

「マジックレバー」とは、腕の動きで左右両方に回る回転錘の運動を、偏心ピンと一体となった「マジックレバー」で往復(引き押し)運動に変換することにより、歯車を常時一方向に回転させ、ゼンマイを効率的に巻上げる方式です。
「マジックレバー」はまさに「魔法の手」と言えるセイコーの独創技術です。
(“マジックレバー”はセイコーの登録商標で、一般には“爪レバー方式”といいます)

3時位置の「デイデイト一体窓」機構は「ファイブ」に初めて搭載されました。

すっきり見やすい3時位置の「デイデイト(日付・曜日)一体窓」機構の開発

当時のデイデイト位置
当時のデイデイト位置

当時は、「日付」は3時位置、「曜日」は6時位置あるいは12時位置のレイアウトが一般的で、ファイブ設計段階でもデイデイトの位置は同じレイアウトでした。
しかし、デザイナーから「日付と曜日を3時位置の一つの窓に納め、すっきり見やすい新しい顔をつくりたい」との提案が出され、カレンダー周りの機構の設計変更や英語表記の簡略化等の課題を乗り越えて実現したのが、この斬新なデイデイト表示機構です。

ファイブの3時位置「デイデイト一体窓」
ファイブの3時位置「デイデイト一体窓」

この機構は見やすいだけでなく、腕時計の新しい“顔”(デザイン)の創出につながりました。発売当初は東京オリンピックを翌年に控えていため、曜日は英語表記のみでしたが、以降、この独自のカレンダー機構の特性を活かし、「英語と日本語」の2ヵ国語を表示(バイリンガル)、さらに3ヵ国語表示(トリリンガル)へと進化し、世界中で大好評を得ました。

全面防水化

現在は腕時計の「防水」は当たり前の機能ですが、当時は「時計は水に弱い」が常識でした。海水浴で腕時計をつけていると“あなた、時計をつけていますよ!”と親切に注意された時代でした。もちろん防水腕時計もありましたが、当時の防水時計は厚くてごつい「特殊な腕時計」という時代でした。

「ファイブ」は活動的な若い人をターゲットとしたので、いつでもどこでも使えるようにと「全面防水化」が商品企画の重要な狙いでした。そのため、「ファイブ」では当時あまり使われていなかった錆びにくいステンレススチール材を、外装ケースの標準素材に選定します。そして「中3針・デイデイト・自動巻」というフルスペックのムーブメントを如何にコンパクトな“防水”ケースサイズに収めるかが最大の課題でした。
幸いにも、同時期に進めていたケースとダイヤルの新しい寸法体系「SEIKO外装ミリ規格」を採用することにより、高精細な外装設計が可能となり、コンパクトで精密な外装ケースの製作に大きな威力を発揮しました。
「デイデイト一体窓」の機構設計にもこのミリ規格が大きな役割を果たしています。

「SEIKO外装ミリ規格」とは

当時、腕時計の寸法の単位は “型”(リーニュ)が用いられていました。
“リーニュ”とは、メートル法が導入される前にスイスやフランスで使われていた長さの単位で、1リーニュ=2.256mmと大変扱いづらい単位でした。そのため実務面ではmmで設計していた日本の腕時計メーカーの図面寸法には常に端数がつきまとい、部品相互の関係寸法にムダが生じ、部品寸法と公差の関係もすっきりしませんでした。
また、モデル番号は“型”(リーニュ)番号に準拠していたため、新しいデザイン・構造にはそぐわない体系でした。
そのような課題を解消するため、

1.基本的にメートル法で構成し
2.関係寸法・公差を技術上可能なギリギリまでつめ
3.モデル番号と形状と寸法の関係を分かりやすくし
4.商品体系が増えても対応可能な新しいモデルのコーディング体系を整備することにより、
精密なデザイン・外装設計が可能となりました。
この「SEIKO外装ミリ規格」はファイブの誕生に大きく貢献しただけでなく、以降のセイコー腕時計のデザイン・設計・製造・販売・アフターサービスにまで大きく貢献しました。

金属バンドを標準装備

当時の腕時計の標準バンドは革バンドか汗・水に強いナイロンバンドが殆どでした。
「ファイブ」では全面防水化が商品企画の大きな狙いであったため、バンド素材にケースと同じステンレススチールを全面採用することにしました。
腕にフィットさせるためのサイズ・アジャスト方法等の開発などにより、防水腕時計にふさわしい外観と性能を備えた丈夫なバンドが実現しました。
この金属バンドの標準装備は、「活動的な若い人のための斬新な腕時計」というイメージを印象付けるための重要な要因のひとつでした。

耐震性、耐衝撃性の向上と切れないゼンマイの採用

ダイヤショック構造図
ダイヤショック構造図

当時、腕時計の故障の多くは、「落下衝撃による止まり(テンプの回転軸=天真の折れ)、動力ゼンマイの「切れ」「へたり」による巻上げ不能でした。
「ファイブ」では耐震性に優れた衝撃吸収装置“ダイヤショック”、切れない・へたらない特殊合金のゼンマイ材料“ダイヤフレックス”の採用により、信頼性・耐久性が一段と高まり、「ファイブ」は頑丈な時計として世界から認められるようになり、“品質のセイコー”のイメージを世界に定着させました。

「ファイブ」の革新性は「販売戦略面」でも発揮されました。

初めてのマーケティング手法の導入

昭和30年代当時は、「製造部門が造ったものをどう売るか」が営業部門のスタンスでしたが、「ファイブ」では「売れるものをどうつくるか?」といった、現代でいう「マーケティング」の手法を初めて導入しました。

ネーミング

「ファイブ」のネーミング・音感は、若い人に力強い新鮮な印象を与え、販売面で大きな成功を収める要因になりました。

“ファイブ”の名の由来は・・・

1. (高い巻き上げ効率を誇る)自動巻機構
2. (品質を末永く保護する)防水機構
3. 3時位置一つ窓の(見やすい)デイデイト
4. 4時位置に隠された(巻かなくてよい)リュウズ
5. (金属バンドを装着した)男性的なデザイン

シンボルマーク

シンボルマーク
シンボルマーク

シンボルマーク(ファイブワッペン)や専用パッケージの制作は、ブランドを一層際立たせる効果を生み、宣伝広告の面で大いに役立ちました。

キャンペーン

若い人に向けた数々のキャンペーンを実施することにより、「新入生・新社会人需要」という新しい市場をつくりました。

1963年
セイコー自動巻ラッキーチャンスキャンペーン

1964年
「セイコーでスタート」キャンペーン
宣伝広告で数々の賞を受賞

1964年
ADC賞TVCM部門銅賞、第四回CMフェスティバル銀賞等数々の受賞しました。

グッドデザイン賞受賞

1964(昭和39)年上期のグッドデザイン賞を時計分野で初めて受賞しました。
当時はまだ珍しかった「平面ダイヤル」や、「3時位置のデイデイト一体窓」や、「4時位置の見えないリューズ」などによる、全く新しいデザイン創出とデザインポリシーの先進性が証明されたといえます。

最後に

ファイブの雑誌広告
ファイブの雑誌広告

以上のように「ファイブ」は世界の自動巻腕時計の大衆化を牽引し、セイコーの時計事業拡大に大きく貢献しました。さらに、以降のセイコーの商品開発・販売戦略に影響を与えるなど、セイコーの歴史の上で大きな意義をもつマイルストーン製品といえます。