江戸時代の時刻制度

「一刻」の長さが昼夜で違い季節によって変動

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」と呼び、現在は24等分した方法が世界中で使われています。
これに対して、一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。

江戸時代の日本でも不定時法が使われていました。昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、しかも昼夜の長さは季節によって変わるため常に変化していました。

時の呼び方は、真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数え始めます。
数で呼ぶと一日に同じ名称が昼夜二度出てくるので、夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別が必要でした。

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和時計調節の仕組み

16世紀に日本に到来した時計は定時法に合わせた機構であったため、和時計には不定時法に合わせるための様々な工夫がされています。
方法は主に二つ。1.機械の運転速度を変える方法と、2.文字板上の時刻の間隔を変える方法です。

1.機械の運転速度を変える方法

一挺天符と二挺天符
一挺天符と二挺天符

和時計の速度調整のためには往復運動をする機構、「棒てんぷ」が使われていました。棒てんぷが一つ使われている「一挺てんぷ」では左右に掛けた分銅の位置を近づけたり離したりすることで速度を調整しました。上記の通り昼と夜で一刻の長さが違うので、毎日二回の移動が必要でした。
17世紀末に昼用と夜用を自動で切り替える「二挺てんぷ」が開発されると、分銅の移動は一年に24回、節気に合わせて行うだけでよくなりました。

2.文字板の時刻の間隔を変える方法

(左)夏至の割駒と(右)冬至の割駒
(左)夏至の割駒と(右)冬至の割駒

江戸後期になると棒てんぷに代わってより精度の高い振り子やひげゼンマイが調速に使われるようになりました。この方法では運転速度自体は容易に変えられないため、文字板上の時刻目盛の間隔を変える「割駒式文字盤」が作られました。12刻の文字を記した小さな駒板を季節によってレール上を動かせる仕組みになっています。また、複雑な機械仕掛けで駒板が自動的に移動するタイプも作られました。

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