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時の記念日100年を振り返る~大正から令和へ

2020年に「時の記念日」は100周年を迎えます。大正から平成そして令和にかけて、私達の生活や社会は大きく変化しましたが、「時の記念日」にもまた時代に呼応するように様々な記念行事が行なわれてきました。セイコーミュージアムの所蔵資料の中から、大正から令和にかけてそれぞれの時代に行なわれた「時の記念日」の催しを紹介します。

「時の記念日」とは?

―1920(大正9)年に「時間を大切にして日常生活を合理的にしよう」という目的で定められました
第一次世界大戦以降、不況により国民の生活は不安定になる一方でした。このような社会情勢の中、無駄を省き合理化を進め国民の生活を立て直そうという考えから、政財界や教育界の有識者によって「生活改善同盟会」が結成されます。
1920(大正9)年5月から7月にかけて、東京教育博物館(現 国立科学博物館)で「時」展覧会が開催され、会期中に「生活改善同盟会」は時間尊重の思想を普及するための行事として「時の記念日」を主催します。第1回「時の記念日」には、ビラ配布や街頭での時刻合わせなど、様々な催しが行われました。

なぜ6月10日?

―日本で初めて時計を使って時刻を報せた日に由来します
671年4月25日(現在の暦に換算すると6月10日)に天智天皇が漏刻(水時計)を用いて初めて鐘鼓(かねづつみ)を打ち鳴らして報時を行ったという故事から、「時の記念日」は6月10日に制定されました。

第1回 生活改善同盟会主催「時の記念日」行事

東京教育博物館で「時間節約」と書いた札を結んだ風船が正午に飛ばされる様子

「生活改善の栞」

生活改善同盟会評議員に服部時計店(現セイコーホールディングス)創業者、服部金太郎が名前を連ねています。「時」展覧会には服部時計店からの時計の展示も行われました。

教材集臨時号 誌上時展覧会

1920(大正9)年 内外教育資料調査編 
南光社発行

東京教育博物館(現 国立科学博物館)で行われた「時」展覧会の詳細が記されています。
来館者約22万人と大盛況だった展示内容を、遠隔地の人々も楽しむことができました。

《パネル》上:動物の寿命(其一) 下:婦人一生の
お化粧時間

上:
理学博士石川千代松氏調査
島津製作所出品

下:
婦女通信社 佐藤貞子出品

「教材集臨時号 誌上時展覧会」に掲載されている展示図版の一部です。
一般の人々にとって身近な題材を取り上げ、好評を博しました。

(画像提供:明石市立天文科学館)

時の記念日の歌「尊い寶(とうといたから)」
(提供:明石市立天文科学館)

1920(大正9)年に大阪で開催された「時展覧会」で時に関する歌詞の募集が行われ、入選作の田淵巌氏の作品「金より尊い」は、大阪音楽学校(大阪音楽大学の前身)設立者の永井幸次氏が作曲を行い、後に「尊い寶」という名前で時の記念日の唱歌として全国の学校で歌われるようになりました。

歌を聴く

1.啓蒙活動としての「時の記念日」 

1920(大正9)年に「時の記念日」が制定されて以降、国民生活の合理化を進めるための展覧会が日本各地で開催されました。時や時計に関する珍しい資料を集め、日本における時計の発達や時刻制度の歴史を学ぶ展示や、作業時間の能率を上げるための方法を紹介する展示なども行われました。また1921(大正10)年から時間尊重の活動に努めた者に「時の功労者」として表彰が行なわれ、様々な形で時間尊重の思想が広まっていきます。

1927(昭和2)年 兵庫県主催「時計の歴史展覧会」

一般配布した小判型ビラ

時計の歴史展覧会記録

1927(昭和2)年 兵庫県

大丸呉服店神戸支店で開催された兵庫県主催の展覧会の記録。全国から集められた珍しい時計や文献など約700点を展示、6月7日から6日間で来場者数が10万人を超えたと記されています。

時を活かせ 自然と人生から見た時の研究

1930(昭和5)年 大阪毎日新聞社編 大阪三越発行

大阪三越で1930年6月15日~20日に開催された「時を活かす」展覧会の記念出版として、展示内容をまとめたもの。作業能率を上げるための具体的な研究結果やデータが掲載されています。

右:時と金 時の節約費(其の二) 大阪より東京へ1
トンの雑貨を送る場合
左:掃除の時間と費用

平井奏太郎撰 経営学参考図表

「時を活かせ 自然と人生から見た時の研究」に掲載されている展示資料の一部です。
掃除や輸送といった、日常的な作業における時間と費用を可視化したものです。

第十九回時記念日表彰式次第

1939(昭和14)年
主催 東京府、東京市、東京商工会議所、
財団法人 生活改善中央会

1921年より開始された「時功労者」表彰の式次第。裏面には、東京時計師教会による「時計取扱心得十則」が記載されています。

時代時計展

1937(昭和12)年 銀座伊東屋

銀座伊東屋で1937年6月10日から14日まで開催された展覧会のチラシです。江戸時代の大名時計から西洋時計まで数十種を陳列し、時計売り場では景品付き時計の販売も開催しています。

「時の記念日」宣伝ポスター

1930年頃 主催 甲府時計商組合 後援 甲府市役所

「時の観念は文化の尺度」といった「時」から始まる標語と、マナーが記載されています。「時の記念日」を筆頭に、生活改善運動が全国的に普及したことがわかります。

2.まるで“時計”の
記念日?

戦後、日本人の所得水準と時間意識が向上するにつれ、正確な時計への需要が高まり、日本の時計産業も急成長を遂げます。「時の記念日」には、日本時計産業の技術力や先進性を見せるプロモーションの場として、各時計会社の新製品を出品する展覧会が多く開催されました。1970年代当時の時計雑誌に、「現代では本来の趣旨から逸脱して時計の記念日に成り果てた感がある」と書かれたほど、販促活動が中心となりました。

1966(昭和41)年 日本時計協会「時の記念日」ポスター

全日本時計展覧会

1948(昭和23)年6月10日~20日
主催 日本時計協会 後援 商工省、貿易庁

「チックタック学校」

1961年頃
主催 ABC朝日放送、精工舎

時計展

1954(昭和29)年6月9日~6月14日
主催 日本時計協会 後援 通商産業省

商品パンフレット

1960(昭和35)年 服部時計店

セイコーの販売店で配布されたパンフレット。「時の記念日につき、腕時計の無料診断をいたしております。」とあるように、「時の記念日」のイベントとして診断サービスも広まりました。

3.「時の記念日」の
新たな提案

「時間を大切にして日常生活を合理的にしよう」という目的で100年前に制定された「時の記念日」ですが、昭和の高度経済成長を経て、日本人の時間管理意識は大きく変化しています。2018年度の実績では、東海道新幹線の年間平均遅延時分は1分未満とのこと。制定当初の目的が達成されたと言える現在、「時の記念日」において新たなとりくみが行われています。

時を休もう。

時間管理意識の高さゆえに日本人はうまく休めなくなっているのかもしれないとの仮説に基づき、「時間」について見つめ直すきっかけをつくろうと、2018年、セイコーは平成最後の「時の記念日」に銀座・和光の時計を休ませ、「時を休もう。」と提言しました。

セイコー時間白書

セイコーは、毎年生活者に時間についての意識や実態を探る調査を実施し、「時の記念日」に「セイコー時間白書」として発表しています。
時間通りに効率的に行動する、時間管理意識が強い日本人ですが、オンタイムだけでなくオフタイムでも時間に追われている現代人の実態がこの調査で浮き彫りになりました。自分で値付けする1時間の価値は、調査ごとに年々上昇を続け、2019年の調査では、オンタイム4,427円/時間、(前年3,669円/時間)、オフタイム9,632円/時間(前年6,298円/時間)となっており、「休みの時間=プライベート」を重視する傾向が顕著になっています。

明石市立天文科学館塔時計

「時の記念日」100周年の機会に、日本の標準時を象徴する明石天文科学館において、セイコーが設置している塔時計が全面改修されました。現代社会のニーズに対応し、より正確に、見やすく、また環境に配慮した省電力の仕様となっています。
この塔時計は、1960年6月10日「時の記念日」の明石市立天文科学館オープン以来、60年間にわたり日本標準時を正確に刻み続けています。現在の時計は3代目で、阪神淡路大震災で被災した2代目の後を継ぎ1998年1月17日午前5時46分に稼働しました。外観の老朽化が進んだため、今回時の記念日100周年を前に修繕を行い、ロゴデザインを刷新。LED化により省エネを実現するとともに、視認性も向上しました。
塔時計を制御する塔内の親時計は、修正精度±1/100秒(0.01秒)以内の高精度です。直径6.2m、長針3.2m、短針2.2mの大時計は、塔頂54mの高度にあって電車の車窓などからもよく見え、明石のシンボルとなっています。

最初の「時の記念日」から100年が経過し、ひとびとの時間に対する意識は大きく変わっています。セイコーは、常に時代の一歩先を行きながら多様化するひとびとに寄り添う「時代とハートを動かす」存在であり続けたいと考えています。