振り子時計の誕生

1300年頃のルネッサンスの時期に、塔時計によって人類最初の機械式時計が出来てから、正確な等時性を持つ振り子にとって替わるまで、調速機の役割を担っていたのは、棒テンプ(フォリオット・バランス)でした。
天秤の原理で錘の位置を内側外側に調整することで、棒テンプの回転スピード、ひいては、冠型脱進機の歯の進むスピードを通して、針の動くスピードを進めたり遅らせたりして調整していたのです。
棒テンプは、塔時計に使われたのみならず、少なくとも17世紀の中頃までは、室内で使用された重錘式ランタンクロックや、持ち運びの出来る直径10cm以上もある大きな初期の懐中時計にも使われていました。

等時性のある振り子時計の誕生

ホイヘンスが製作した振り子時計
ホイヘンスが製作した振り子時計

その後、ガリレオ・ガリレイが、1583年振り子の等時性を発見しました。それにより、機械式時計は、周期運動でコントロールされていなかった時代から、一定周期で連続振動する時代に変わる契機となります。1637年、ガリレオは等時性を活用した振子時計を考案しますが、完成には至りませんでした。

ガリレオの死から14年後の1656年にクリスチャン・ホイヘンスが、冠型脱進機の重錘時計に、振り子を用いて最初の振り子時計を発明しました。棒テンプの代わりに振り子の等時性を活用し、さらに振り子の振り幅を制限する補正板を両側につけたのです。

ガリレオが発見したふりこの等時性には条件がありました。ふりこがサイクロイド曲線に沿って揺れる限りにおいて等時性がある、という条件です。振り幅が大きくなると、ふりこはサイクロイド曲線を離れてしまうので、等時性が損なわれます。

棒テンプの時計では、一日15分程度の誤差があるのは普通でしたが、振り子時計の発明によって誤差は一日数分程度へと大きく改善しました。

冠型脱進機の弱点

ホイヘンスの振り子時計の脱進機もまだ冠型脱進機でした。

振り子は振幅が大きくては精度が損なわれますが、冠型脱進機は構造上どうしても振り角が大きくなるのが弱点でした。加えて、冠型脱進機は振り子の揺れに干渉されやすく、摩擦で摩耗するため、安定的な精度を出すには限界がありました。

フック、クレメントの退却式アンクル脱進機

イギリスの科学者ロバート・フックは、1656年にホイヘンスが発明した振り子時計を研究し、その振幅を大幅に抑えることを可能にした「退却式アンクル脱進機」を発明しました。この脱進機は、アンクルとガンギ車から構成されています。冠型脱進機では、おおきな爪(バージ)に合わせて振り子の振幅角度がどうしても30度以上になり振動周期が長くなるのに対して、退却式アンクル脱進機は、2度から5度程度の小さな振り子の振幅で動くために、サイクロイド曲線に沿った振動が可能となりました。

次いで、1671年頃同じくイギリス人の時計師ウィリアム・クレメントが、フックの退却式脱進機を改良して、その後の普及に大きく貢献します。振り子は長くて重いほど精度が安定しますが、振幅が2~4度の小さな振幅でも動くようにしたことで、1mにもおよぶ長い振り子を使用することができ、より正確な等時性が保たれるようになりました。彼は、同年長さが1m以上もあるロイヤル振り子と呼ばれる周期2秒(0.5Hz)の秒単位の精度を持つロングケース・クロックを作り、グリニッジ天文台に設置したと言われています。

退却式アンクル脱進機では、振り子のリズムに合わせてアンクルの爪が正確にガンギ車の歯を進めることができたため精度が飛躍的に向上し、その後秒針も付くようになり、間もなくクロックの脱進機は冠型からアンクル脱進機にとって代わるようになりました。
ただし、この退却式アンクル脱進機は、そのガンギ車の動きが秒針の回転にも影響を及ぼすという難点がありました。
退却とは歯車が文字通り後退することを意味しており、ガンギ車が前進の直後にやや後退する時に、秒針にこの余分な動作が伝わって、それが精度に微妙な悪影響を及ぼしていたのです。

参考文献

「調速機  時計理論マニュアル4」   第二精工舎 F
「時計のはなし」  平井澄夫     朝日新聞出版サービス
「時計」      山口隆二     岩波新書

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