移動・携帯が不可能だった最初の機械式時計

今でこそ時計が携帯できないことなど想像できませんが、かつて時計は大きなサイズが必要で、携帯することはもちろん、移動することさえできませんでした。 
最初の機械式時計の動力は錘です。紐の先につけた錘を巻き上げ、錘が下がっていく力を利用して時計を動かしていましたが、それには高さが必要になります。このため最初の機械式時計は、高い建物の屋上や、塔の上に設置され、移動することは考えられませんでした。

このように、大きくて重い時計を移動、更には携帯できるようにするには、錘に代わる動力の開発が必要でした。

動力ゼンマイの発明と小型化

動力ゼンマイ
動力ゼンマイ

錘に代わる動力として発明されたのがゼンマイです。ゼンマイは錘に比べサイズが小さく、時計の移動や傾きに左右されにくいという特徴があります。
巻上げられたゼンマイのほどける力で時計を動かすことで、小型で移動できる動力を実現しました。
ゼンマイの発明については諸説ありますが、15世紀後半にはヨーロッパでゼンマイが時計の動力として使われたことが分かっています。

それでも初期の携帯時計は大きすぎてポケットに入れることができず、クサリをつけて、首から胸のあたりにぶら下げて使用しており、ドイツでは「首時計」、イタリアやフランスでは「胸時計」と呼ばれていました。

ちなみに、この時代の携帯時計の調速機と脱進機は、初期の塔時計と同様に棒テンプと冠型脱進機でした。

携帯できる最初の時計

ヘンライン作とされる筒型時計
ヘンライン作とされる筒型時計

長い間、携帯できる時計を最初に作ったのはドイツのペーター・ヘンラインだといわれていました。ヘンラインはドイツ南部のニュルンベルク(Nürnberg)生まれの機械技術者です。

その根拠となるのが、1512年に書かれた書物(Johannes Cochläus: Brevis Germaniae Descriptio )です。「ヘンラインは1510年に筒形の携帯可能な時計を作り、40時間動いた」と書かれています。

ドイツ ニュルンベルクの国立ゲルマニッシュ博物館(Germanisches Nationalmuseum)には、彼が1510年に作った、世界最初の携帯できる時計とされるものが収蔵されています。
2012年に、この博物館が中心となり、2年近くを掛けCTスキャナーや3D動画合成など最新技術を駆使して、この時計を含む8個の「世界最古の携帯時計候補」が分析されました。

2014年12月に出た調査結果によると、「ヘンラインの時計」には、後世様々な改造や部品の入替えが施されており、きちんと作動せず、実際に動いた形跡もないということから、世界最古の携帯できる時計ではないとの結論が出ました。

一方、1530年製造で宗教改革者フィリップ・メランヒトンが所有していた時計は、改造がほとんどされておらず、最古の携帯時計である可能性が浮上しました。
ニュルンベルク市はこのころ、ヘンラインから多くの時計を買って、贈答品として贈っていました。この時計もその一つかもしれません。

また、今回の調査対象以外に、1505年製で、PHのイニシャルが刻まれた時計が個人のコレクションにあるようですが、存在も中身も確認されていません。

このように、世界で最初の携帯時計に関する真相は未解明で、いまだに研究と議論がされている状態です。

ヨーロッパ中で人気を博した「ニュルンベルクの時計」

ニュルンベルクの卵
ニュルンベルクの卵

初期の携帯可能な時計で、ヨーロッパ中で人気を博したものに「ニュルンベルクの卵」があります。

主にニュルンベルクで作られたことから、これもヘンラインの作とされることが多いのですが、現在確認されている一番古い「卵」はヘンライン没後の1550年製であることから、ヘンラインではないという説が有力です。

それ以降、携帯時計は技術の進展にともない進化していきます。
初期の調速機は、移動による振動で精度が落ちていましたが、1675年、オランダ人のホイヘンスが丸い輪の中にゼンマイを仕込んだ調速機(テンプ)を発明し、揺れや振動に強くなりました。

テンプを使うことで18世紀中ごろにはポケットに入る懐中時計がつくられ、産業革命を契機に普及していきます。20世紀前半には新しい脱進機の開発等により更に小型化が進み、第一次大戦を境に腕時計の普及につながっていきます。

参考資料

Germanisches Nationalmuseumウェブサイト
ドイツ紙Die Welt 2014年12月2日付記事
Wikipdia Peter Henlein, Nürnberger Ei, Torsionspendel

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