日時計の誕生
人類は文明以前から、太陽が東から昇り西に沈む様子を、太陽の光とその影の長さの変化で認識して、時の流れを観察していたようです。太陽が一番高くなる時に、影が一番短くなり、それが昼間の中間点であることを、身近にあった木の棒などで知ったと思われます。
やがて、紀元前4000年頃のエジプトで、地上にまっすぐに棒を立てて、昼間の時間を細かく刻んだ日時計が出来たと言われています。
紀元前3500年頃には、太陽信仰に結び付いたオベリスク(方尖塔)が、ナイル川の上流テーベに建てられ、夜明けと日暮れの間を12分割して、午前と午後を季節ごとに既に読み取っていたのです。
一方、紀元前3000年~2000年の頃から、メソポタミヤ文明を起こしたシュメール人、その後を継いだバビロニア人は、昼夜をそれぞれ12分割して1時間とし、季節によっても緯度によっても、1時間の長さが変わる不定時法で時間を管理し、60進法も創出して1時間を既に60の単位で割っていたようです。
日時計はその後、時代によって、地域によって、様々な進化をとげ、ギリシャやローマなどで長く使われていましたが、基本的には、昼と夜の長さを、それぞれ十二等分する不定時法で、機能や精度の改善は見られませんでした。
水時計の登場
次にエジプトで紀元前1400年頃、夜用の時計として、季節によって夜の長さが変わる不定時法に対応した水時計が作られます。底に穴が開いており、月ごとに内側の目盛が変わっていて、水を満杯に入れる量を調整するもので、日没ともに底の栓を抜き、水面の下がり具合で時刻を知ります。水が空になった時が夜明けという仕掛けです。
ギリシャでは、紀元前5世紀頃から、クレプシドラ(ギリシャ語で「水を盗む」の意味)と呼ばれる水時計が使われ始めました。「ソクラテスの弁明」の中に、当時のアテネの裁判中の弁論時間をこの水時計で計って決めていた様子が描かれていますが、水時計は法廷では欠かせない道具だったのです。
その後の水時計には、脱進機のような制御装置のついた巧妙なものや、歯車を使って、円形の文字板と指針で時刻を示すものも作られていました。
人の影で時刻を計った時代
アテネのアリストパネスが紀元前4世紀に書いた戯曲「女の議会」に、食事の時刻を、人の影の長さで決めていたという台詞が出てきます。もちろん人の影の長さは、季節と緯度、そしてその人の身長によって変わってきますが、たとえば、影の長さが歩幅で12歩になったら食事を始める、といった使われ方をしていたのです。当時のアテネ市民は、時刻を決めるために、結構人の影を使っていた様です。
日時計は時計の原点
時間の概念の原点は、地球が1日一回自転しながら、1年に一回太陽の周りを公転することにあり、この誤差を修正するために、閏年や閏月があみだされましたが、夜明け、南中、日暮れ、その間の太陽の傾きの影で時刻を知る、不定時法の日時計の素朴な時刻の決め方は、時計の原点として、洋の東西を問わず一般大衆の間に広まって、懐中時計や腕時計が当たり前になる迄は、広く愛用されていました。
17~18世紀以降、時の為政者が、時刻にそって時間を管理する必要性を見出し、都市に暮らす人々の間では、徐々に時間に管理される生活を強いられるようになってきたものの、いわゆる一般大衆、特に農村に暮らす人々にとっては、つい百年、二百年程前までは、太陽を基準に、おおらかな時間で社会生活を送り続けていたのです。
参考文献
「時計のはなし」平井澄夫 朝日新聞出版
「時計」 山口隆二 岩波新書
「時計の話」 上野益男 早川書房