ドイツ・フランスに後れをとったイギリス時計工
イギリスは、14世紀に教会に塔時計をつくりますが、それらはオランダから職人を招いてつくったものであり、また、16世紀以降の室内時計や携帯時計などの小型の時計製造も、当初はドイツ人の技術であったようです。
時計産業では、ドイツ・フランスよりも遅れをとり、大陸がぜんまい駆動の時計に切り替わった16世紀半ばになっても、重錘を動力にして棒てんぷで動かしていた壁掛け式か専用の棚(ブラケット)に置いた、形状が灯火のランタン(カンテラ)に似たランタンクロックを製造していました。
その後、ランタンクロックは、動力がぜんまい、調速は振り子にかわり、置時計となって18世紀半ばまでイギリスでは長く親しまれていました。
16世紀後半に、フランスからユグノー戦争で追放された時計工が多く移民してきますが、保守的で後進的なイギリスの時計商工は、彼らに商売が妨げられることを恐れて、優遇しなかったために、イギリス時計産業は17世紀中頃まで発展しませんでした。
一方で、新教徒に支えられて繁栄していたドイツ・フランスの時計産業は、迫害と亡命で17世紀に入って衰退していきます。
17世紀後半からの優れた時計師の輩出
1657年にオランダ人のクリスチャン・ホイヘンスが取得した振り子時計のパテントを応用して、オランダ系イギリス人のアシュラス・フロマンティールが、間もなく、長い振り子を使ったロングケース・クロックを作ります。これが、19世紀中頃まで流行った、人よりも背の高い、細長くて重厚な家具として価値のあるイギリス伝統のグランドファーザズ・クロックの始まりです。
ロンドンの時計職人たちは、この振り子時計を更に改良することを考えます。振り幅を小さくしてより精度を高める必要性から、ロバート・フックやウィリアム・クレメントが冠型脱進機に替わる退却式アンクル脱進機を発明・改良し、その後17世紀後半から18世紀後半にかけて、トーマス・トンピオン、ジョージ・グラハム、トーマス・マッジといった3代に渡る師弟関係の時計職人が、クロックやポケット・ウオッチ用に進化した脱進機の開発を重ねます。
また、軸心部分に宝石を使うことで、摩耗や破損を使う方法もあみだされます。
最終的には1756年頃マッジが、今日のウオッチ用のクラブトゥース・レバー脱進機にもつながる、小型で精度が良くて、大量生産がし易いレバー脱進機を発明することで、イギリスの時計産業がその後の産業革命を切り拓いていくドライバーとなるのです。
時計産業発展の生産の基礎を築いたトンピオン
時計は従来ギルドの徒弟制度のもと、7年間の修業期間に、ひとりで時計の完成体を製造する技術を習得するものでしたが、前述のトンピオンは、彼の職場を、時計の部品ごとの製造に分業して、協業によって安く質の良いものを造るという、いわゆるマニュファクチュールといえる生産方式を導入します。この製造工程には、友人である天才発明家フックのサポートを得て開発した、正確かつ大量に部品を造れるロータリーカッターも大いに役立ちました。
トンピオンは、「イギリス時計産業の父」と言われますが、19世紀にアメリカ式製造法といわれる標準規格化や相互交換方式による部品の製造と組立の基礎は、彼によって始まったといえるかも知れません。
産業革命によるイギリスの繁栄は、時計技術が基礎
当時のイギリスの社会に目を向ければ、まず1763年の欧州列強間の七年戦争で勝利したことが、その後のアメリカ・インドを含む世界の市場・原料供給地の覇権を決定的にし、その広大な植民地からの安定的な利益の原資が生れました。また、農業革命と呼ばれる農業技術改革によって農村から溢れた労働力が、都市で安い賃金で豊富に雇える環境もありました。
これらを資本にして、まずは技術革新の進んだ時計産業、次に最新の紡績機を使った繊維産業、そして製鉄技術の改良による製鉄業などが、順番に産業革命の推進役になります。その後は、1785年にワットにより蒸気機関が発明されることで、工場の動力源、蒸気船・蒸気機関車の需要が飛躍的に増大して、19世紀中頃までに、機械工業が革命的に発展するのです。
物理学・機械工学をマスターしていた時計時術者は、当時最高の技術集団でした。回転運動と往復運動の変換をする脱進機やカムの理論や、それら技術の応用で、紡績機や蒸気機関が出来たと言われており、時計産業の技術が、産業革命の勃興に大きく関与したのです。
大衆消費社会の誕生
従来時計は贅沢品であり、消費は地主・貴族階級・ブルジョア商人に限られていたのですが、18世紀末の年間のウオッチ生産はある数値によると、イギリスが12~19万個、大陸全体で10~15万個、アメリカはゼロとあります。
当時のイギリスは、世界最大の時計の生産国であったと同時に、広く一般にまで需要があった時計の消費国になっていました。18世紀のイギリス人は、今日きわめて保守的といわれるものとは違って、カラフルなインドの更紗(木綿の文様染)、紅茶(中国茶)、そして、地位や財産の証としての懐中時計という三つの憧れの商品があって、まだ大陸では懐中時計が特権階級のみに使用されていた時代に、一生に一度贅沢な買い物をするアイテムとして、中産階級や、一部一般庶民にまで、消費されるようになっていたのです。
参考文献
「時計のはなし」平井澄夫 朝日新聞出版
「時計の社会史」角山 栄 中公新書
「時計」 山口隆二 岩波新書
「時計の話」 上野益男 早川書房