マリンクロノメーター用の脱進機
大航海時代の到来によって、ヨーロッパ諸国では15世紀半ばより海上での船の衝突・遭難事故が多発していました。
緯度は太陽や北極星の高さを測ることで知ることが出来ましたが、経度を測る手段がなく、自分の船の位置を知ることができなかったからです。このためイギリス政府は、正確な経度測定方法に多額の賞金をかけます。
高名な科学者がこぞって挑戦して失敗する中、競争に勝ったのは時計職人のイギリス人ジョン・ハリソンでした。正確な時刻が分かれば、経度は測定することができます。ハリソンは海上用高精度時計「マリンクロノメーター」を発明しました。
彼は最初のマリンクロノメーターH-1に、ガンギ車にかかる爪の摩耗を減らし、揺れる海上でも摩擦や振動に強い「グラスホッパー脱進機(バッタ式脱進機)」を搭載しました。
またハリソンは調速機においても、精度に影響を与える航海中の大きな温度変化に対応するため、膨張率の違う2つの金属を組み合わせた「バイメタル」を考案しました。
マリンクロノメーターの主流となった「デテント脱進機(クロノメーター脱進機)」
しかし、マリンクロノメーター(高精度時計)の主流となるのは、「デテント脱進機(クロノメーター脱進機)」です。1748年にフランス人ピエール・ル・ロワが初めてこの機構を考案しました。
「デテント」は圧力がかかっていないことを意味し、デテント脱進機はテンプに接触する時間が短く、テンプが自由に動くことができる脱進機です。ガンギ車からの力は、一往復に一度だけ伝えられるため、テンプの等時性が最大限に生かされます。
パレットとがガンギ車がほぼ平行で、摩擦が非常に小さく押さえられるため、注油の必要も少ないものでした。
その後、イギリス人のジョン・アーノルドやトーマス・アーンショーが、その構造を改良して、板ばねの弾力によってガンギ車の歯を一つずつ進めるスプリングデテント方式(板ばね式)を作り、更にその改良形として、螺旋状のばねの弾力でガンギ車の歯の動きをより正確に制御するピボテッドデテント方式(軸止め式)が生まれるなど、ル・ロワは、近代マリンクロノメーターの精度の発展のもととなるデテント脱進機のその後の開発に道筋をつける意味で、多大な貢献をしました。
デテント脱進機はその精度のゆえに、クオーツが一般的になる1970年代まで基準時刻をはかる時計として使われ続けました。しかし一方で壊れやすく、高度なメンテナンスを必要としたこと、テンプが一端止まると自動で再稼動しないなど、大きく普及することはありませんでした。
参考文献
時計の話 上野益男著 早川書房
時計のはなし 平井澄夫著 朝日新聞出版
経度への挑戦 デーヴァ・ソベル著 翔泳社
時と時計の物語 明石市立天文科学館